サラノキの下で

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「変だ」

秀盛は前を走る瑞穂の手を引っ張って止めた。左近がかなりのスピード狂なのは知っているけれども、あそこまでカーブで出しはしない。完全にコントロールを失ったように山道を下ってくる車は普通ではなかった。

「何か変だ」

「宗さま、タイヤに何か憑いてる!」

瑞穂が指差した車を秀盛は目を凝らしてみたが、彼には何も見えなかった。

「脇に避けていた方がいい、轢かれるぞ!」

少女の手首を秀盛はもう一度強く引いた。しかし彼女は首を振った。

「感じる。あれは玲司。玲司だよ」

秀盛はあまり霊感が強くない。だから玲司の霊は見えなかったというのに、その一瞬でさっと瑞穂のまわりが白くなったように感じた。波動が広がるように彼女の長い髪の毛に何かが走った。

「瑞穂!」

しっかり掴んでいたはずの彼女の手首が、指からゆっくりと離れていってしまう。

「馬鹿、何をやってる!瑞穂!」

迫る車。

瑞穂は道の真ん中に立つと、太刀を胸の前で一文字に片手で掴んで構えた。

「瑞穂!」

庇いきれない。

それでも秀盛は瑞穂の肩を掴んだ。筋肉がきつく凝縮する。体全体が衝撃に備えた。

——ぶつかる。

そう思った瞬間だった。

ヘッドライトの青白い光は全く別のものに変わった。

包み込むような自然の温かみが体を包み、瞬く間に消えた。車は二人を避けきることができたのだろうか。秀盛は、硬直させていた緊張を解くと、ゆっくりと瞳を開いた。

——海?

しかし、そこはなぜか舟の上。朝日が眩しく東から昇る大海原が広がっていた。

「ゆけ!」

叫び声が聞こえたと思うと、太刀を持った少年が、銀色の海に向かって勇んでいた。横顔は青ざめて、眉がきりりと上がっている。

——女?

鎧など着ているから少年に見えるだけで、鬟(みずら)を結った髪を解けば、可愛らしい顔立ちの女の子に違いない。例えば、瑞穂のような感じの...。そこまで考えて秀盛は、自分は轢かれて死んでしまったのだと思った。

「いくんだ!」

少女が持っているのは、確かに天叢雲剣。

今にも海に飛び込んででも切り込みかってしまいそうなほど、前に前にと急がせている。そしてもどかしそうに左右を見ると、側に控えていた男から弓をひったくり、矢を構えた。

「死なせはしない」

まるで呪(じゅ)を込めるように少女は言い、白い矢を空に向けた。

灰色の雲を引いて空気を裂き空を飛び、静かにそれは下降していった。

——瑞穂だ。

秀盛は矢を放った少女を振り返った。ほんの数十秒前に車に飛び出して行った自分の婚約者とこの少女は同じ人物なのだ。

少女は厳しい顔で矢の行く先を見守っていたが、すぐにそれは泣きそうな目に変わった。哀しくも外れて海に消えたのは、見なくとも分かる。秀盛は彼女の代わりに矢を射ってやりたいと思った。けれど、少女は顔を直ぐに改めると矢継ぎ早に次を射る。決して届きなどしないのに。

すると今度は、逆に敵から矢を射かけられた。彼女は降って来る矢を、一つ不機嫌に鞘で払うと、避けきれなかったもう一つの矢が目尻をかすめたのも気にする様子もなく前方を睨みつけた。ぽたりぽたりと涙のように頬を伝う濃赤の血だけが、震えている。

「もっと早く漕げ!」

太刀を抜いた少女に、髭を蓄えた男たちの方が恐怖に戦いたように見えた。

風がこちらを押し始めた。

神寂る波。

高く、高く広がる青い空。

白い狼煙が細く、長く昇ってゆく。

少女の額を流れる血が本物の涙と混じって海に落ちていった。真っ赤になるまで彼女は唇を噛んで、群がる舟の男たちを斬る。もう秀盛は見ていられなくなった。後ろから彼女を抱きしめて、「もういい」と言ってやれたらどんなにいいだろう...。

誰かが彼女の代わりに海に飛び込んで、何かを引っ張りながら泳いで来る。

男の死体。

その瞬間、映像がぷつりと切れた。

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