サラノキの下で
サラノキの下で
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霊感というものは、どちらかというと自分にはないと思っている瑞穂だったが、部屋に溢れる淀んだ空気に気分が悪くなっていた。
「酔ったの?」
玲司は何も話さない瑞穂を気にかけた。
「そうじゃないけど」
盃は飲んだふりをしているだけで、口はつけていない。
この状況では飲む気にもならないし、しらふでも十分頭が変になったような感じがする。酔ったというのなら、この雰囲気。人熱れのようなむんむんとした黒い気配にだった。
「出よう」
「いいの?」
「かまわない」
二人が立ち上がったことを誰も咎めなかった。
戸の向こうは、雨の止んだ海。
雲から黄金の月が半分だけ薄衣をまとったように顔を出している。
「綺麗」
波の寄せる音、風が静かに吹いている。
遠く篠島の灯台が一つだけ灯り、もう鬼火は消えていた。
瑞穂は欄干に腰をかけると、片足だけ裸足になって親指を浸けた。
「袴を濡らしたら怒られるかな」
「誰も瑞穂を怒ったりはしないよ」
「ねぇ、玲司も足浸けない?気持ちいいよ」
「瑞穂は変わっている」
「玲司の方が変だよ」
そう瑞穂は笑って振り向いたが、やはり自分は玲司の言う通り変わっていると思った。こんな風に怨霊と普通に話をするのは、どうかしている。穏やかそうな玲司だが、実のところ彼には怖い部分があるのをひしひしと気付き始めているというに、それでもこうして一緒にいるのが心地よいとさえ感じるのだ。
「瑞穂、口付けをしてもいい?」
「え?」
とっさのことに瑞穂の瞳は大きく瞬きをした。それに玲司は苦笑する。
「あなたはいつもそうだ」
「何がいつもそうなのよ?」
「私が気持ちを告げる度に初めて知ったような顔をする」
瑞穂は男の恨み言にどう答えていいか分からなくなった。
突飛にキスしたいなどと言われて面食らわない方がおかしい。何度かキスされたといっても、それを夢や、秀盛だと思っていたのだから。
「今夜が二人の婚礼だと言ったはずだね」
「...」
「これはあなたが私にした約束なんだよ」
顎を引き寄せられて顔をこちらに向けられた。愛されているのか、憎まれているのか分からないような玲司の瞳。じっと向けられただけでキスはなかった。しかし彼が空想の中で彼女の唇を奪っているのは分かる。
「そんなに見ないで」
「震えている」
潮の香りが、生温く首のまわりを這いずり回った。動けない。金縛りのような感覚は、何か過去との因縁なのかもしれない。玲司と瑞穂は、鎖のような強い絆に繋がれている。
「こんな風に玲司に見られたことあった気がする。その時も、こんな雨上がりの夜で」
玲司の瞳がさざ波に揺らいだ。
「わたしは玲司に何か頼んだんだよね?」
「なぜだ」
「何が?」
「今まで一度も思い出したことなどないのに、なぜ今、思い出そうとする」
「なんか玲司が辛そうで」
瑞穂はそう言って、左近を思い出した。二人は似ている。
「なんか辛そうで、わたしがそうさせているような気がして...」
玲司は顔を背けた。そして白かった彼をとりまく空気が、ぐっと一息に黒く塗り変えられていくと、瑞穂は思わず欄干から離れた。
「あっちに行った方がいい」
離れていてくれとも玲司は言ったが、瑞穂は凍り付くような彼の霊気にそれ以上動くことも出来なくなった。胸の中で携帯がメールの着信を告げる小さな音を立てたけれど、それどころではない。
「玲司」
黒い海が、いっそう深さを増して底なしになった。
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