サラノキの下で


「行ってきます」

六原秀盛は『そんな格好でうろちょろするな』と言っていたが、瑞穂は構わず、水色のキャミワンピを選んだ。左近にフェリーの中の土産物屋で買ってもらった貝のペンダントを合わせるとビーチサンダルをひっかけ玄関を出た。

途中、寂れたタバコ屋を見つけ、瑞穂は百円アイスを買って、それを片手にペダルを漕ぐ。

「もう夏休みみたい」

サザンが聞きたい気分だった。けれど、残念ながらMP3は持ってきていなかった。小さな島だ、それほど時間もかからずに、ビーチに行けるだろう。別に瑞穂は急いでもいない。ゆっくりと自転車を走らせて、どこまでも続く道を鼻歌ずさみで進めば、波の音が聞こえた。

「海だわ」

アイスの棒をくわえると、スカートが巻きあがるのも構わずに瑞穂は自転車を漕いだ。

そして木々の合間から銀色に光る海を見つけた。

広い広い海原。

一艘だけ船が海流に反して横切っている。

「きれい」

潮風が瑞穂の髪を揺らす。ペダルに片足を背伸びするようにして望めば、岸壁の下に砂浜があった。凹字型に入り江になっているようだった。

「よっし!」

瑞穂はアイスの棒を口から出すと、自転車のハンドルを坂道へと向けた。

ペダルに立ち上がって、全身に潮の香りのする向かい風を受けながら坂を下った。少し古い自転車だったから、ブレーキの音が痛々しく鳴り響いていたけれど、そんなことはどうでもいいぐらい、風が気持ちいい。

だからだろうか、瑞穂は一台の車とすれ違ったことさえも気付かなかった。


「引き返せ」

この島に不似合いな少女を見つけたのは、六原秀盛(ろくはらひでもり)で、運転手が慌てて狭い道をUターンしたが、あっという間に少女の姿は坂の下に消えていた。

秀盛はため息をついた。

「前代未聞だ」

それは誰に向けていったというよりひとり言に近いく、案の定、運転手は、何も返事をしなかった。

頭痛がする気がして、彼は左手を額に当てた。

昨日は、一族の前で取り乱し、失神したかと思えば、今日は肩と膝小僧を出したミニのワンピースといった格好で自転車を漕いでいる。島の掟や伝統も、天野家の次期当主という意識も彼女にはないらしい。

「結婚など、こっちがご免被りたいぐらいだ」

六原家には本家、北家、 南家 、東家の四家があり、天野家の当主との婚姻は、特にその四家の中から、年頃の合う者の名前を書いて海に浮かべ、神託を問うて決める。最後まで水に浮かんでいた者を天野家の娘は夫とするのだが、四百年ぶりに六原本家の、それも当主が、相手に決まったのだった。

当然、秀盛の意志など関係ない。

それでも、婚約を彼が受け入れていたのは、ここで六原家の当主として育ち、伝統の重さを尊重するがゆえだった。

それなのに、一族郎党の前で、結婚相手として不都合だと反発した瑞穂。秀盛は彼女に対して忌々しく思う以外にどういう感情を抱いていいのか分からなかった。

「止めてくれ」

秀盛は、サンダルを手に砂浜を歩く少女を見つけると車を止めた。

「一時間後に迎えにきてくれ」

「かしこまりました」

秀盛は車のドアをばたりと閉じた。フェンスを跨ぎ、砂糖のような白い砂浜に踏み入れれば、前方で瑞穂が足を水に浸しては、飛沫の作る光加減を喜ぶように水面を蹴っている。なんというか、酷く無邪気だ。

「おい、そんな格好で何をしている」

もっと何か優しい言葉が他にあったかもしれない。けれど、今の秀盛にはそれが最もしっくりする一声で、問いつめるような声音に自分でも驚いた。

「何って。あんたに関係ないじゃん」

男の声にびっくりしてビーチサンダルを波の上に落とした瑞穂も秀盛のそれと負けないぐらい不機嫌な声だった。

「具合はよくなったのか」

「オカゲサマで」

「ならいい」

足下に流されてきたビーチサンダルを秀盛は拾ってやった。

「そんな格好で歩くなと言った」

「関係ないでしょ?」

「関係ないことはない。俺はお前の婚約者だ」

奪うようにサンダルを瑞穂は彼の手から取った。

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