サラノキの下で
サラノキの下で
78
「でも、夜はいつもよりいいと言った」
「まぁ、そうなんだけど」
「やさしくされるのは嫌いではないと思ったけれど?」
「それとこれとはちがって...」
秀盛の顔が近づいて瑞穂は夜のことを思い出し、顔を赤らめた。そして逸らした視線が何気なくガラスの外に向くと、小雨の中、真っ赤な傘をさした小夜子がこちらを見ていた。後ろの女の表情は傘に隠れて窺えないが、瑞穂はなんとも言えない微かな違和感を覚えた。
「宗さま、支度が整いましたが」
けれど直ぐに、秘書の六原海斗が呼びに来て、その違和感の原因を突き止める機会をうしなった。
「先に宮を連れて行ってくれ」
「はい」
「私は後から行く」
「かしこまりました」
そしてざあっと雨が強まって、ガラス戸に打ち付けた。この雨では外の小夜子たちは難儀するだろうと、瑞穂は視線を庭に戻した。
「あ、あれ?」
「どうかされましたか」
「小夜子さんと一緒にいた女の人が消えてません?どこに行ったんだろう...」
きょろきょろと辺りを見た瑞穂。海斗も外を見やったが、小夜子の赤い傘がくるくると回りながら、庭の池にかけられた石橋を渡っていくのみで、斜めに雨粒が差し込んでだせいで雨樋が忙しく音を立てている。
「こんな雨ですから、屋根のある方に移られたのでしょう」
「でも、今さっき見たんですけど...」
腑に落ちないで、少し考え込むような仕草の瑞穂に、秀盛が後ろから囁いた。
「この男には見えない」
「え?」
「鈍いんだよ。つまらない普通の人間だから」
囁きが微かに耳をかすめた。ぞくっとしたのは、男の息に感じてしまったからか、それとも、あの女が死人だと気付いてしまったからか。振り返って、瑞穂が秀盛を見ると、にこりと柔らかい笑みを向けた。
「瑞穂。先に行って待っていてくれ。すぐに行く」
「あ、うん...」
秀盛は海斗に瑞穂を雨で濡らさないようにと注意して奥の方へと消えて行った。
「さ、宮さん、車を外に待たっております」
「はい...」
「どうかされましたか」
「なんか宗さま優しすぎて怖いんですけど」
海斗はそれに笑った。
「宮さんのことがお好きなんです」
「そうかな。なんか違うような。あそこまで宗さまがやさしいと逆に気持ち悪くって」
「まあまあ。そんなことをおっしゃらないでやってください。宗さまがお気の毒ですよ。そもそも男は女の子にはやさしいものなのですから」
「そうかなぁ」
彼氏というものをまだ一度も持ったことがない瑞穂は、納得しきれないが、否定するほどの何かがあるわけでもない。
男心の分からないそんな瑞穂に、海斗は苦笑した。そして頼まれごとをされていたのを思い出した。内ポケットの手帳を取り出すと、先ほど警察関係者から聞いたことをもう一度確認する。
「例の村田英里さんですが、大学は東京だったようです。なかなか優秀で、証券会社に入ったらしいのですが、どうやら体を崩して、親元に数年前に帰って来て、例の印刷会社に再就職したようですね」
「そうですか...」
「直接村田さんにお会いした篠島の警察官の話では、なかなかの美人だということです」
「へぇ」
「ただ、たびたび友人を訊ねて島に来ているようなのですが、その友人というのは誰なのか分かりません。会った警察官が訊ねたところ、はぐらかされたと言っていましたので、男性かもせいません」
瑞穂は押し黙った。
「もし、よろしければ、村田英里さんが滞在中のホテルの監視カメラを調べさせますが」
「え、でもそんなこと」
「宗さまにも幸村さんにも洩れることがないように万全に行いますので」
「ありがとうございます。でも、大変そうな作業だし...。たぶん、その『友人』っていうの左近さんだとわたし思うんです。なんか分かんないんですけど、女の勘?みたいなので...。もう一度、わたし左近さんに聞いてみることにします」
「そうですか」
「本当にめんどくさいことお願いしてしまってすみません。ありがとうございました」
「とんでもございません」
瑞穂はぺこりと頭を下げた。綺麗なお辞儀ではないが、愛嬌と心があった。そのどちらも、そっと海斗の心をたぐり寄せる。彼は、瑞穂に微笑んで、『頭を上げてください』と言いかけたけれど、そこに人影が歩み寄り、話は中断された。
「瑞穂さま」
「左近さん...」
「これをお忘れです」
いちいち膝をついて扇を渡した幸村左近。瑞穂が少し警戒するように手を伸ばした。
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(週1回)