サラノキの下で
サラノキの下で
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そして瑞穂は内心、自分がいらだっていることに気付いた。
「着替えているところ、すみませんでした。わたし、出てます」
ずっと左近が悩んでいるように見えることを気にかけて、何度も理由を尋ねたのに、彼は何も答えてはくれなかった。そればかりか、体中、青あざを作っていてその理由も言わない。
瑞穂は、襖を開けた。
たぶん、左近は瑞穂の不機嫌を察して困っている。それは顔を見なくてもわかる。
「着替えたら、すぐに参りますので」
「別に、急がなくてもいいです」
後ろ手で襖をばしりと閉めて、瑞穂はため息を吐いた。気になっていた女性のメールのことを左近が説明してくれなかったことに自分は腹を立てたのだ。いつも、「瑞穂さま」と特別扱いをしてくれる左近。独占欲とか、嫉妬とかそういう感情が彼に芽生えてしまったのかもしれない。
——なにやってんだろ。わたしは秀盛と付き合ってんのに。
瑞穂は首をぶんぶん振ると、長い廊下を歩き出した。
自分が好きなのは秀盛なのに。
でも、無意識に唇に触れてしまう。いきなりされたキス。キスと呼ぶに相応しいだけの実感はなかったのに、余韻が、唇にまとわりついている。
——あれ、小夜子さん。
しかし、瑞穂はすぐに指を唇から離した。庭の片隅の祠に着物姿の小夜子が傘を肩に手を合わせているのが見えたからだった。
——やっぱり美人はちがうなぁ。
どんないいものを着せてもらっても、どうもしっくりこない瑞穂と違い、小夜子は一つの絵になっている。祭には出ないのか、装束ではなく単衣の振り袖姿だった。薄水色に紫陽花。足下に近づくにつれ、色が濃くなっている。そしてその後ろには、小紋の女が一人、共に手を合わせていた。
——げ、めちゃ髪長い。
カツラにしても腰までとどく髪は瑞穂には気持ちが悪かった。
瑞穂はガラス戸に手を伸ばした。声をかけていい雰囲気ではなかったけれど、素通りして後で影で何か言われるのも嫌だ。
「瑞穂」
けれど、誰かがそれを止めた。一瞬左近だと思ってしまって、びくりと振り返った。
「ああ、秀盛じゃん。もう帰って来たんだ?」
瑞穂の問いに答えずに、ガラスの向こうに彼の視線がいく。
表情が読めなくて、瑞穂は彼を窺うように見上げた。
「小夜子さんって、美人だよね。ああいう姿、なんか色気があるっていうか?秀盛も惚れちゃうでしょ?」
左近のこともあったから、たぶん彼女は動揺していた。からかうように早口で言うと、もしかしたら、嫉妬に聞こえたかもと思って、急いで口をつぐんだ。
「あの女に近づかない方がいいよ」
「え?」
「あの女。見えない?」
瑞穂は秀盛に指差されて、もう一度小夜子を見た。別段、変わったところなどないが、その視線が彼女の拝んでいる祠に達すると、はっとする。
「ああいうものは崇めても、願い事などしない方がいいのだけどね」
「秀盛?」
瑞穂は眉を寄せて、恋人を見た。
「黒いだろ?」
「あ、うん」
「あまり熱心に拝むと心が共鳴(ともなり)りしてしまうんだ」
「へ、へぇ」
確かに祠には、小松塚にあるのと同じような黒い気が小さくではあるが、漂っていた。
「なにが祀ってあるの?」
「さあ、なんだったろう?忘れてしまったけれど、ろくな死に方をしなかった死霊を祀ってあるんだろ。そこで死んだんだ、女のようだね」
「秀盛。そういうこと言わないでっていつも言っているのに」
瑞穂は怖くなって秀盛の袖を握った。苦笑した男。
「大丈夫。瑞穂には私がついているから」
「私?私っていう柄じゃないのに、どうしちゃったの」
「気にしなくていいよ」
「そんなこと言われたって、気になるし。最近妙に優しくって気持ち悪んですけど?」
「そうかな?」
「うん」
「嫌か?」
秀盛の顔が近づいた。もともと顔は整っているとは思っていたが、こうして見ると、やけに男のくせに美しいと再認識して、瑞穂はその顔を手で押しのけた。
「そんなに近づかないで」
「どうして」
「どうしても」
秀盛の唇が首に近づいた。流すような目。こんな風に見られたら、どうしたらいいのか瑞穂には分からない。
「もう、いいかげん、いつも通りにしてよ」
「いつも通り?」
「そう。威張ってもいいからさ。なんかこっちが調子狂うじゃん」
蝙蝠(かわほり)を秀盛は広げた。
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