サラノキの下で

62


森深く、縄の巡らされた土地に行列が着くと、秀盛が小刀でそれを一息に切った。神域に張られた結界を二十年ぶりに破られて、刈り手と呼ばれる若い男たちが、伸びた草を鎌で刈りながら、行列はゆっくりとその中へ進み始めた。

蒸すような青い香り。

——虫とかいないといいけど。

輿に乗っている瑞穂も、心配になるほどの鬱蒼とした場所で、雑草を行列が踏みしめる度にそれは増して来る。秀盛を見下ろすと、白い着物の裾や袖の先が既に緑色に変わっており、瑞穂はうんざりとした。田舎が好きといっても、結局は都会育ち。本当の手つかずの自然に、瑞穂は眉を顰めざるを得ない。

そして秀盛も視線を感じたのだろう、彼も輿を見上げたが、にこりともしない。

瑞穂は『大丈夫か?』ぐらいの言葉が欲しかったし、『大丈夫?』ぐらいの言葉もかけてやりたかったから、真面目に無表情の秀盛に内心腹も立って、彼女も彼に負けないぐらいに神妙な顔を作った。それは本人の意図した以上に神さびて見えたから、小川の音が聞こえて来た以上に厳かな趣を行列に加えた。

「到着いたしました」

泉と呼べばいいのか、池と呼べばいいのか分からない小さな水溜まりは、小川から流れて来た水が、一度そこに溜り、そしてまた小さな流れとなって下って行く仕組みになっている。

左近によって輿から降りるの助けられると、いざなわれるままに水辺に瑞穂は近づいた。澄んだ水に木漏れ日が当たり、水面(みなも)に自分の顔が映し出された。

北家の雅盛(まさもり)が一族を代表して、瑞穂には皆目分からない祝詞(のりと)を上げ、秀盛が瑞穂の横に並んで座った。二人が手にしていた笏は左近が預かり、代わりに手ぬぐいが秀盛の両手に乗せられる。

「お手を水にゆっくりと漬けてください」

耳元で左近に言われて初めて瑞穂は、その水底(みなぞこ)に目を向ける。そして澄んだ水の中に無数の何かが蠢いているのを見つけると、思わず出しかけた手を袖の中に引っ込めた。

「へ、蛇っ」

小魚ではない。つるりと長い体をくねらせて泳いでいるのはまぎれもなく水蛇で、ゴキブリも鼠も平気な瑞穂が唯一苦手としているモノが一匹どころではなく、三十も四十もいるのだ。

「毒はございませんので」

「毒とかそういう問題じゃないですっ」

左近が戸惑った瑞穂に小声で声をかけたが、瑞穂の声はしんと静まり返った森の思った以上に響いて、行列に小さな動揺が生まれた。

「我慢しろ」

「我慢って、どうやってよ?」

「一瞬だけでいいから」

「絶対ダメ。ヤダ。ごめんなさい」

「顔をつけろって言っているわけじゃないだろ?」

とても島の人間には重要な儀式で、私語さえ慎まなければならない厳かなことだとは分かっているものの、涙が出て来る。前もって分かっていたのなら、断ることも出来たのに、「水に手を入れるだけですから」という左近の説明通りに受け取った自分が悔やまれた。

「ごめん、無理」

「左近、取り押さえろ」

「え、ちょっと!」

左近と秀盛の二人掛かりで、左右の手を捕まえられた瑞穂。体だけは半分逃げたままの体勢で、掌が水の中に入って、何かぬるっとしたものが指の間を通り過ぎて行く。

「や、や、放してってば」

自分の持つ全力をもってしても、やはり男二人には敵わない。水の中に手を入れられている間に、雅盛が早口で祝詞を上げた。

「気持ち悪いんだってば!」

「もう少しだ。我慢しろ」

手を放された時には、瑞穂はぐっしょりと汗を掻いていた。手ぬぐいを渡されても、放心状態で、出来ることなら自分の手を切ってしまいたいぐらいに生々しい感触がまだ残っている。

「蛇はダメなんだよ...」

大粒の涙を流して、瑞穂が見上げれば、秀盛も左近も気の毒になった。儀式は未だに続いていたが、二人は輿まで彼女を運んで、風を送ってやると落ち着いたのか、少女の顔に赤みがさした。

「大丈夫か」

「うん...。ごめん、取り乱して」

「あんなに蛇が増えているとは思いませんで、無理を申し上げました」

左近が瑞穂の汗を拭ってやりながら謝った。

「本当にごめんなさい、左近さん。せっかくの儀式だったのに。でも蛇は苦手で...あんなにいると、もう怖くって」

「ここの蛇は神の化身と言われておりますので、駆除することも出来ないので増える一方でして...」

蛇が神の化身なら、ゴキブリは仏の化身だと瑞穂は言ってやりたかったけれど、そんな元気もない。蛇などをありがたがるこの島こそ、おかしな島だと心の中で呟いた。

「あの、祭には蛇出ませんよね?」

「あ、はい。祭は社で行われますので」

「よかった」

「蛇どころか、虫一匹出ないように注意しておきます」

「すみません。お願いします」

「瑞穂、お前の出番はもう終わりだ。しばらくここで休んでいろ」

「ありがとう。でもここにも蛇が出そうで...」

「俺も禊ぎをしないとならないんだ。左近に付いていてもらえ」

秀盛の言葉に左近が頷いた。

「宗さまもあの中に手を入れるの?」

「しょうがないだろ?」

「言っとくけど、めっちゃ気持ち悪いよ...」

「言われなくったって想像出来る」

「まぁ、ガンバって」

「ああ」

瑞穂は秀盛の後ろ姿を見送った。人垣をかき分けて、水辺に座ると、彼は先ほど彼女がしたのと同じように祝詞と共に手を水に漬ける。ただし、瑞穂のように騒ぎ立てたりしないせいか、あるいはやわらかな朝日が彼に斜めに差し込んでいるせいか、禊ぎという儀式が神秘的に苔の生した岩に融けているように見えた。

「っつ」

けれど、落ち着きを取り戻したかのようだった儀式も秀盛の悲痛な声によって再びどよめきが走る。左近に風を送ってもらっていた瑞穂もそれにはっと顔を上げ、秀盛の白い袖が赤くなっているのを見つけると、腰を上げた。

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