サラノキの下で
サラノキの下で
44
「おはようございます」
いつもながらのきちんとしたスーツ姿の左近は、昨夜の取り乱し様など嘘のように非の打ち所のない四十五度に頭を下げた。
「ああ...」
「明後日の禊ぎについてなのですが——」
秀盛は明後日という言葉に驚いた。時計で日付を確認すると確かに予定していたのは今週末だったと気付くのだが、淡々と衣装の段取りやおのおのの役割分担などを、書類を広げて説明する左近に少しばかり戸惑った。
「今週末にするのか」
「はい。そのように聞いておりますが、北家の方から連絡は来ておりませんか」
「じいさんから?いや、そんな話は聞いていない」
「延期と言う話も出ておりませんので、そのまま予定通りと思っておりました」
腕組みをして秀盛は考え込んだが答えは出ない。煩い年寄りどもがやれというのなら、やった方がいいような気もするが、南家を差し置いてではそれはそれで頭が痛いことになる。
「まあ、仕方がない。やる方がいいだろう。何十年ぶりの祭なのだから」
「はい。私もそう思います」
「それより心配なのは瑞穂だ。やる気になってくれるかどうか」
「瑞穂さまには私からご説明いたします。もしどうしても嫌とおっしゃるなら、小夜子さまに代役を頼むしかありません」
「小夜子か」
秀盛は小夜子の日本人形のような顔を思い出した。感情があるのかないのかさえ分からぬほど冷たい顔は、何百年も婚姻を続けて来た結果であるのは仕方ないにしても、天野家の血筋よりも六原家の血の方が濃いようにみえる。
完璧なまでに完璧に天野家の娘である小夜子の、それが唯一の欠点と言ってよく、あの女と顔をつきあわせて一日儀式をすると想像しただけで、秀盛はどっと疲れが出てきた。
「瑞穂さまには私からよく言ってお願いしてみますが」
「そうしてくれ」
「一応、確認させて頂いてよろしいですか」
「なんだ?」
「瑞穂さまは、祭にあげてよろしいお体ですか」
「ああ。もちろんだ」
秀盛は心外だとばかりに不機嫌に言った。しかし、やましいこともなかったわけでもない。顔を背けて、虚勢をはって怒ってみせたのはそのためだった。
「それならよろしいのです」
左近の眼鏡の縁が深くなった。
「ところで」
「はい」
「瑞穂のまわり憑いているのがいるのは知っているか」
「憑いているとおっしゃると、霊ですか」
「ああ」
「私はそういうものが見えない質(たち)なのです」
「小松さまというらしいが、心当たりは?」
「さあ、ですが小松さまと言えば、小松塚の小松さま以外思いつきませんが」
「ああ、俺もそうだと思う。瑞穂が怖がっている」
「注意しておきます」
「そうしてくれ」
秀盛は左近という男がよく分からなくなった。確かに幸村家の人は、そういう類いのものが見えないらしいが、本当に全く気付いていなかったのだろうか。
「それでは」
「あ、ああ」
書類を鞄に詰めて、左近は会釈を残すと部屋から出て行こうとした。しかし、戸に手を掛けかけて、思い出したように止まった。
「今日、あの刑事がこの島に来ることになりました」
「今日?」
「はい。祭の前はこちらも忙しいので、そうなると今日しかありませんので。船が出せ次第来るとのことです」
「分かった」
どうせ、この島に来ても、何も出てきはしないのだ。好きなだけ島を歩かせて、帰ってもらえば、向こうも気がすむ。ただ、一つだけ左近に確認しておかなければならない。
「万事、問題ないんだな?」
「ございません」
「ならいい」
襖を左近は開けた。その背を見送った秀盛は外を見た。五感が何かがちがうと言っているのだが、何がちがうのか分からない。掛け違えてしまったボタンが、そのままになっている違和感だった。
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(週1回)