サラノキの下で
サラノキの下で
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海の天気は当てにならないものなのだろうか。晴天とは行かなくても学校では明るかった日差しが、マリーナに着くと雲の谷間からどんよりと差し込むだけで、いつ雨がぱらつき初めてもおかしくない空模様になっていた。
この島に来て間もない瑞穂ですら、小さな柚ノ島がときどき何かに備えて身を縮めるような、そんな歪な空気を放つことを知っている。それはきっと大雨になる前兆なのだろう、秀盛もポケットに手を突っ込んだまま遠くに霧に包まれた柚ノ島を睨んだ。
「島が呼び合っている」
それは突飛なようでそうでもない形容だった。ロープを外していた左近も顔を上げた。
「大嵐になりそうですね」
「都合はいい。マスコミが柚ノ島を取材しようなどという酔狂を起こさない」
「電気が止まらなければいいのですが」
瑞穂には電気のない生活など想像もつかなかった。けれど、柚ノ島ならば電気がなくても不思議はないような気がする。それどころか、今までスイッチを押せば、灯りがつくことの方が、違和感があったぐらいなのだ。
「それにしても、瑞穂さまがいてくださって良かったです。いらっしゃらなければ、島の住民はパニックを起こして、きっと昔のように社がなくなってしまうと騒いだでしょう」
クルーザーに乗るのに手を貸してくれた左近の言葉に瑞穂は首を傾げると、秀盛が代わりに「昔のから島に嵐が来ても、天野の娘がいれば大事にならずにすむと信じられている」と説明した。
「へぇ。でもなんで?」
「民間信仰だ。気にするな」
「...」
瑞穂は腑に落ちずに、簡単すぎる秀盛の説明にむっとしたが、「すみません、待ってください」と誰かが手を振って追いかけて来たので、話は中断されてしまった。
「北家の者ですが、雅盛(まさもり)さまもご一緒してよろしいでしょうか」
男は、北家のボートはすでに雅盛の息子と孫が柚ノ島に行っていてないのだと説明し、ここで待っていれば誰かが島に行くのを捕まえることが出来るかもしれないと朝から待っていたのだと言う。
「上陸は出来なくとも、篠島の誰かに頼めばと申し上げたのですが、どうしても柚ノ島の人間でなくてはだめだと申されまして...」
恐縮した男の様子に、左近がちらりと秀盛の顔色を伺って、別段問題なさそうなのを確認してから頷いた。
「かまいませんよ」
「ありがとうございます、助かりました。直ぐにお連れしますので、お待ちください」
「分かりました」
男が立ち去ると、秀盛がめんどうくさそうなため息を吐いた。
「あのじいさん、まだ生きていたのか」
「まだまだご健全でいらっしゃいます」
「どうせ昔話が長々と始まるんだ」
左近が苦笑して、めずらしく二人は気が合ったと言う風な顔だったので、瑞穂は、『雅盛』なる人物はどのような人なのかと不思議に思った。口ぶりから、高齢の六原家の分家の一人のようだが、この左近がうんざりするような長い昔話をするとは余程の人である。
「風が強くなってきますし、早くご老体が来てくださるといいのですが」
大型の船である。雨になろうとそれほど支障はないが、瑞穂がたまに船酔いする質であるので、クルーザーが揺れるのが心配な左近が空を見上げて言った。瑞穂も巨大な塊のような黒い雲が轟くように流れてゆくのをみると、心配になくる。
「それにしても嫌な風だ」
もうすぐ六月とは言え、台風には少し早い。
生温い風が、セーラー服のリボンをかすめると、片手でスカートが巻きあがらないように抑えた瑞穂の横で、秀盛が白い飛沫を上げてコンクリートに打ち付けている波の中に石ころを投げ込んだ。ぼとんと水に沈む音を瑞穂も秀盛も期待していつまでも待っていたが、それは返って来ることはなかった。
「お待たせ致しました」
北家の六原雅盛がマリーナに姿を表したのは、結局三十分後で、既に雨が船を濡らしていた。着流し姿の雅盛老人は、待たせた相手が秀盛であったのは、承知していたようだが、そこに瑞穂もいたことにここに来て初めて知ったようだった。
「宮さんがいらっしゃるとは露にも存じ上げませんで...」
長々と詫びを言い始めた老人を瑞穂は、気にしないでください、と微笑んでとにかく船に乗ってもらうように目配せをした。言葉や頭はしっかりしているようだが、八十すぎの老人なので、足腰はあまりよくないらしく、左近と秀盛の二人掛かりで、ようやく船内のソファーに収まったのはそれからまた二十分も経った後のことだった。
「南家の清重が死んだそうで」
「らしいですね」
秀盛は老人の相手をしたくなかったらしく、運転させろと左近に詰め寄っていたが、「ダメです」とにっこりと断られ恨めしそうにしていた。それでも雅盛老人の話題が、昔話以外であるのにほっとしてか、瑞穂が相槌を打ったのをちらりと見た。
「事故だろう。どうせ酔ってボートを運転して転落したか何かだ」
「あれは昔から酒飲みでしたから」
「面倒なことだ。心臓発作ぐらいにしておかないと、後で煩くなる」
秀盛は腕時計を見た。電話を掛けて手を回さないとならない。老人のせいで柚ノ島に着くのがずいぶんと遅くなってしまっている。
「篠島の西岸に死体が上がったそうですから、柚ノ島から流れ着いたと警察ではみているようですが」
「あの、どうしてそんなことが分かるんですか」
瑞穂が言葉を挟んだ。すると、携帯を取り出して席を立ちかけていた秀盛が振り向いた。
「海流がちょうどそう流れているんだ。昔から、神事で使った人形(ひとがた)が柚ノ島から篠島の西岸に流れ着いたりよくするから、漁師や島に住む人間なら誰だって知っている」
「へぇ」
「柚ノ島でということならば、荒魂(あらたま)さまの祟りに違いありません」
「た、祟り...」
「長年、神事を疎かにしてきた罰でしょう」
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