サラノキの下で



25

真っ赤な熟れたイチゴの表面に砂糖が光沢よく塗られたタルト。

瑞穂はフォークを握ってどこから手をつけようかと迷い、まずは固い生地の縁の部分とイチゴを等分に切って口に入れた。

「おいしっ」

目を細めて喜ぶ瑞穂を横目に秀盛はコーヒーカップだけを傾けていたが、普段甘い物をそれほど好んで食べない彼でさえ、一口食べてみようかと思ったほど目の前の少女は喜びを全身に表して頬張っている。

「残りは持って帰ればいい」

「ホントに?宗さまは食べないの」

「いい」

「そう?じゃ、遠慮なく貰って帰っちゃうよ。男の人って甘いの好きじゃない人多いよね。なんでだろう?こんなに美味しいのに。左近さんも嫌いかな?」

「...」

「それにしてもこの家、とってもレトロでお洒落。イチゴのタルトがこんなに似合う家は初めて見たよ」

珍しそうに瑞穂は木造の洋館の応接間を見上げた。クラッシックなランプにカーブの効いた家具。華奢なティーカップに銀のポット。侘び寂びの天野家の屋敷とも、瑞穂が住んでいた東京のアパートとも違う。

「俺はどちらかというと柚ノ島の本宅の方が好きだ」

「へぇ、まあ、宗さまらしいけどさ」

瑞穂は秀盛の柚ノ島の本宅には行ったことはなかったが、天野の邸宅とそれほど変わらない屋敷だろうと思った。秀盛は正座の方が似合うように思う。禅と書かれてある掛け軸を後ろに、囲碁を一人で打っていそうだった。

「で、お前、変な夢を見るとか言っていなかったか」

「ああ、そう。そうなの。宗さまがお化けの話ばかりするのがいけないんだよ。おかげで、もうホント寝不足」

「怖がらせるつもりで言ったんじゃない」

「言ってたじゃん。呪いとか、伝説とかさ。左近さんが幽霊なんて認識するかしないかの観念的問題だって言ってたよ」

「幸村が?」

「そ」

フォークをくわえたまま瑞穂は頷いてみせた。

「数字で例えるとゼロなんだって。死んでもなく、生きてもいない。だけどそれを数えるか数えないかは、観念の問題なんだって。弁護士は言うことが違うって思わない?わたし、その説明ですごく納得したんだよ。左近さん的には、幽霊なんてもしかしたら蜃気楼みたいなものじゃないかって」

「幸村も昔から変わった男だ。この島でそんなことを言っているのはアイツぐらいだ」

「左近さんが、変わっているって?あんたの方が何十倍も普通じゃないよ」

「瑞穂、それは褒め言葉ととっていいのかな」

秀盛が椅子の肘掛けに頬杖を付いてたずねると、瑞穂は大げさに手を振ってみせた。

「今のはさ、完全な『貶し言葉』だから」

秀盛が笑った。

「美味しいか」

「うん。もう最高」

「観念の問題かもしれないが、お前が今美味しいと思うその感覚は存在するのかな?」

「感覚が存在するかって?」

「そう」

「うーん。『おいしっ!』って思った瞬間は絶対存在するよ。少なくとも私の中ではね。あんたが怖いことばっかり言うから、変な夢を見て、タルトの味を再現しようとしたけど一生懸命がんばったけど無理だったから、まあ、脳のどっかでは感覚って存在し続けているかもだけど、結構一瞬の存在で花火みたいな感じかな。だから、人間繰り返しタルト食べなきゃ生きてけないんだよ」

瑞穂はそういうと、もう一口タルトをフォークに乗せた。そして「おいしっ」とまた同じ台詞を繰り返した。そして忘れないようにするためか、掌に『美味しい』と書いて飲み込んでみせた。

「タルトを食べなきゃ生きていけないのはお前ぐらいだろう?脳が『もう食べたくない』ってぐらい食べておけばいい」

「うん。遠慮なくそうさせてもらうよ」

もう一切れ取ろうか取らまいか悩んでいた瑞穂は、秀盛の言葉に背中を押されて、二切れめに手を伸ばした。

「それでどんな夢を見たって?幸村が女とどうのって」

「ああ、そう、そうなんだって。もう何って感じ。ヤバい夢だったから話したくない」

「お前、欲求不満じゃないのか」

「は?失礼しちゃう」

いやらしい視線を送った秀盛に瑞穂は唇を尖らせる。とにかく、ここのところ見るのはやけにリアルな夢で、夢と現実の境界が非常に近くなっているのだと瑞穂は言う。断じて欲求不満からの妄想ではない。

「まあ、そもそも夢っていうものがなんだか分かんないんだよね」

ソファーに移って紅茶を口に付けると少し疲れ気味に肩を落とした。秀盛はそんな瑞穂に席を立って、後ろの本棚から一冊の英書を取り出して埃を払った。

「『Surrealism』? 」

「ああ、超現実主義.シュールって言った方が分かりやすいか?」

瑞穂の膝の上に置いた本を秀盛が後ろからめくってみせた。二人の距離が近すぎて彼女は息をするのも苦しくなった。鼓動が大きすぎて聞かれはしまいかと思う距離だった。

「夢や幻想とか潜在意識を表現するのが特徴だ」

はらりはらりとめくって奇妙な絵と頭の痛くなるような小さなアルファベットが並ぶ本。その中で、混沌とした砂漠に歪んだ時計が木にかかった絵だけは瑞穂も見たことがある。

「これ知ってるよ。ええっと、ミロ!ミロだよね?」

「お前って、とことん頭悪いんだな...」

「えぇ?違った?」

「めちゃくちゃ自信ありげに言ったところをすまないが、これはダリだから...」

そう言われれば確かに絵の横にそう書かれている。瑞穂は赤面した。

「現代アート興味なしなの」

「どうせ、雪舟も狩野正信の区別どころか名前さえも知らないだろうが」

「いじわるだね」

「...」

「ホント、宗さまってばいじわる」

赤い顔で小さな声で言う瑞穂。秀盛は、その怒って先ほどから尖らせっぱなしの唇に吸い込まれたくなった。

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