サラノキの下で

11

「か、カニ?」

「残念だったな。鼠じゃなくて」

秀盛が几帳をめくって出てきたものは、意外にも貝殻を被ったカニだった。

「はぁ...もうマジ気が抜けたじゃん」

へたりと瑞穂は床に座り込んだ。

「大丈夫か」

「うん。ところでさ、それ食べれる?」

秀盛が呆れた顔で見下ろした。

「いやぁ、美味しそうだなって思って」

「これは食用のカニじゃない」

「へぇ?さすが島民だね。詳しいんだ?」

「島民じゃなくても誰でもそれぐらい知ってる」

「あっそ」

「お前も一度ぐらい聞いたことぐらいあるだろう?平家蟹を」

平家蟹——。名前ぐらい瑞穂も知っていた。壇ノ浦で滅びた平家の怨霊が乗り移り、甲羅に人の苦悶の顔が表れているという蟹だ。瑞穂は、怖くなって部屋の隅を横歩きしていく生物から慌てて手を離した。

「普通はこんな所にはいないが、雨で急に水かさが増えたから流れてきて紛れ込んだのかもしれない」

「そ、そう」

「それにしてもお前はいつまでしがみついているつもりだ」

「あ、ごめん」

瑞穂ははっとして掴んでいた彼のズボンの裾を放し赤面した。そういう瑞穂の仕草は擦れたところがなかったから、秀盛は彼女に対し少し心の余裕をもって、横に座ることができた。けれど手を伸ばせば届いてしまいそうな距離に、瑞穂は彼から離れた。

小さな沈黙。

「婚約とか、いきなり言われてお前が戸惑っているのは分かっている。俺もそれは同じだった」

「いつからこの婚約のことを知ってるの?」

「俺は二年前、当主になった時に告げられた」

「そう...」

「その時は、まだお前は行方知れずだったがな」

「顔も知らない人と結婚なんて嫌じゃない?」

「婚約に対して反発がなかったと言えば、嘘になる。だが、それが六原家の当主の務めだ」

「じゃ責任感、なんだ...」

秀盛は一度黙った。

なんと言っていいか、分からなかった。言葉というものは難しい。上手く選ばなければ、こちらの意に反してまったく違ったように受け取られてしまうものなのだ。

秀盛は言葉を探すのを諦めると、瑞穂の手首を取った。そして驚いて顔を上げた少女の唇を間髪なく奪うのだった。彼女が抗うように身を捩れば、もう一方の手も秀盛は押さえつけ、腕の中に組み敷いた。

「瑞穂、もう俺たちは『顔も知らない人』じゃない。そうじゃないのか」

瞳を見開いた少女。

秀盛はその首筋に唇を落とした。柔らかい肉に、ゆっくりと食い入るように。

楽しんでいる、そういう表現は正しいと思う。完全に彼女は男の征服下にあるように怯えていたのだから尚更だった。秀盛に浮かんだある種の優越感が、短いスカートの裾に手をかけるだけの力を与え、事実それは内股に伸びた。

「や、やめて」

しかし、それまで身を固くしていた瑞穂も、だんだんと秀盛の唇が肢体を下がって行くと、負けてばかりはいられない。必死に男を押し戻して

「わたしは認めてない。婚約もあんたのことも。結婚相手ぐらい、わたしは自分で決めるから」と強い意志のこもった瞳で彼を見上げた。

「好きにすればいい」

ぶっきらぼうな低い声でいう秀盛。

「別に宗さまのことが嫌いで言っているんじゃない。それが誰だってわたしは結婚とか自分の意志を無視して押し付けられるのを嫌なのよ」

濡れた瑞穂の髪が自分の肩に張り付いていたのを、秀盛は矛盾に感じたが、無理矢理それを剥がして、体を起こすと、床に落ちたままだった濡れたシャツに手を伸ばした。

「お前は嫌だ、嫌だと言うが、この島じゃ、俺らの意志なんてものは無価値だ。それだけはよく分かっておいた方がいい。決められたルールの中で、ある程度楽しむことを覚えなければ、後で痛い目にあうのはお前だ」

「心配しないで。お父さんに言う。そしてちゃんと分かってもらって、婚約を解消する」

秀盛が鼻で笑った。そんなこと出来っこないと言いたげな笑い方だった。

「時間だ。行くぞ」

「行くってどこに?」

「迎えの車が来ている」

「わたしは自転車があるから」

「上り坂だ。乗っていけばいい」

立ち上がった瑞穂は上着を返そうとしたけれど、秀盛はそれを止めて、彼女の上着の襟を立ててやった。

「もう少し着ていてくれ」

「いいよ、服乾いたし、返すよ?」

瑞穂の問いに、男の指にしては端整な作りのそれが彼女の首に触れた。ひやりと冷たい指先。それと同時に男の口の端が上がった。笑っているのだった。

——あ、キスマーク?!

足先から頭まで一瞬にして瑞穂は真っ赤になって掌で首を押さえた。挑戦状を突き付けられたような悔しさをもって空いているもう一方の拳を握って仁王立ちになった。

「大人しく消えるまでは着物を着ていろ。襟で隠れるところだ」

けれど、相変わらず秀盛の表情は冷笑的で、余計に悔しさが込み上げて来る。これは絶対に計画的犯罪に違いないと——。

「ま、待ちなさいよ!」

蝋燭の火を消して、さっさと一人室外に出た秀盛を瑞穂は追いかけた。

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