落陽記

 

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雄元の元にやはり羽は報告に行くことにした。楊琥珀(ようこはく)が言うように後から雄元に西夷王のことが知られるよりは、自分の口から告げるのが一番であると思われた。何よりも鷹を肩に乗せて帰った玉兔が無邪気に雄元に『伊士羅に会った』と言い出しそうである。


「西夷が八万の兵を連れて来ております」


「知っている。物見が帰ってきたところだ」


「ご存知でしたか」


雄元の言葉は、陶羽をひやりとさせた。もしかしたら雄元は玉兔にも物見を付けていて、逐一その行動を報告させていたかもしれない。陶羽は言葉に慎重になった。


「楊琥珀が安敬公子の首をねだったようです」


「そういう男だ」


雄元が後ろに手を組んだ。それもまた知っていたのかもしれない。いや、雄元が裏で琥珀を操っていたのかもしれないと陶羽は感じた。


「そろそろ興軍は動く」


いつの間にか風は良い追い風となっていた。背を向けた雄元の袖が一陣の風にさらわれて、大きくはためいた。それはまるで出陣の合図のようで、呂雲の大きな声が前軍からもたらされた。河水に向けて動き出すのである。


「ゆくぞ」


「はっ」


これは陶羽にとっては初めての本格的な戦だった。わき起こる期待と同時に不安もある。雄元は不敗の将として知られているが、その彼でさえ、今回の戦いには慎重を重ねている風である。後軍に配された陶羽は玉兔と行動を共にするので、危険は前軍よりは少ないが、数が興軍に対して劣っているので安心は出来ない。


「陶羽」


「はい」


「我が君をお守りしろ」


「はっ」


「西夷も付け入る隙を狙っている。何かあったらお前を殺す」


陶羽は拝手した。雄元は普段、冗談を言える親しみを彼に与えてくれているが、戦においてそんな気配は微塵もなかった。明確に、陶羽の責務は玉兔を生きて河水を渡らせることにあると雄元は言ったのである。心のどこかで機会があれば敵将を倒し戦功を立てたいなどと思っていた陶羽の子供じみた考えは一瞬にして消え去った。


「心得ております」


それに雄元は満足げに頷くと馬に乗った。玉兔のいる後軍の方へ挨拶に行くのだろう。


雄元は、兜を琥珀から受け取ると、玉兔の小さな頭にそれを被せ紐を結んでやった。彼女に寧公の黄金の冠がかぶせられたときと同じだけ、それはうつくしい光景であった。


「死ぬなよ」


「お前こそ」


二人は睨みあったかと思うと笑った。馬上の雄元の腕がゆっくりと玉兔を引き寄せて唇が合わさった。


「ゆけ、雄元」


玉兔の爽やかな声が邪気を払う。


蒼い空。


赤い旗。


雄元の馬が勇ましくいなないた。


「出陣!」


鼓が鳴り、中軍が動き出す。玉兔は飾り弓を琥珀から受け取ると、宙を射た。それは呪いの一つ。わざと弓に鈴と赤い布切れを付け、高らかに天に戦の始まりを告げるのであった。


「戦の成果はどうのように占いに出たのでございますか」


琥珀が玉兔に訊ねた。しかし、玉兔は笑った。


「占ってない」


「占ってないのでございますか!」


「占ってどうするの?どうせ道は一つ。私たちに必要なのは進むこと。天意も神意も知ったことじゃないわ」


珍しく琥珀も晴れ晴れとした笑みを浮かべた。全くその通りであった。天は気まぐれで、地はその気分次第で右往左往するのが常である。何か目に見えぬ力に怯えて暮らすのではなく、玉兔の言うように一度でも生死を自分の信じる方へと賭けるのも悪くはない。


「面白くなってきましたね」


琥珀が陶羽に笑みを向けた。陶羽は、楊琥珀とはこんな風に笑う男だっただろうかと、少したじろいでから微笑み返した。寧人で寧公の愛臣であったという事実だけで、違う目で見ていたが、一緒に死んでもそれほど悪くない男かもしれないと彼は思い直し始めた。


「運命などというものはよく分からないが、少なくとも今日の風は気持ちがいい」


「全くその通りです」



「出陣!」


黒充夏の声がした。後軍もまた動き出したのであった。


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