落陽記
落陽記
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それは月が満ちる日に間に合った。旗が高々と掲げられ、四万の兵が興国に向け南下することになったのである。
「あれはどういうことだ」
雄元が唯一不機嫌にそう咎めたのは、玉兔の格好であった。髪を一つに束ね、白い胡服に美々しい鎧を身につけて馬に跨がっている。眉をキリリと描いている凛々しさは、まさに少年王の初陣のようであった。
「あれは完全に琥珀の趣味だろう」
雄元はため息を洩らした。彼女のために馬車を用意していたのだが、不要になり空のままついて来ることになってしまった。
「お気に召しませんでしたか」
琥珀が悠々と左右に美臣を従えて、兵車で現れると、雄元は無言で眉をひそめた。
「しかし、将軍。あれぐらいの方がいいです。男とは愚かなものだ。金や欲のためには命が惜しいが、美しいもののためなら死ねる。公が目の前を馬で走っただけで、その命を守ろうと心に誓った兵は幾人いるでしょうか」
「......しかしあれではお前好みすぎる」
琥珀は雄元に口を歪めて笑って見せた。車を御していた呂雲が苦笑した。
「我が君」
雄元は玉兔に車を近づけさせると、馬車へ移るように促した。しかし、彼女は背筋を正すと馬の歩調を少し速めた。
「お前に『我が君』と呼ばれるのは気持ちが悪いわ」
「慣れてもらわねば困る」
「......」
「我が君。馬車にお移りを」
雄元は馬車から手を伸ばした。
「嫌」
「落馬でもしたらどうするのだ」
「落馬?私が?」
玉兔は笑い、腕前を見せてやろうと言い出した。空は青く高い。白い雲に鳥が円を空に描いていた。玉兔は琥珀の臣が持っていた飾り弓を奪うと、雄元が止めるのも聞かずに馬を走らせた。
「やれやれ、とんだ君主さまだ」
「まあ、ご覧ください。だてに西夷の王が望まれる人ではないのですよ」
楊琥珀はそれでも自分の部下に玉兔を追わせて、頭痛に頭を抱える雄元を慰めた。
玉兔は兵の列から大きく外れると、乾いた草原で手綱を放した。そして身を翻して天に向かって弓を構え、的を絞って矢を放った。空高く伸びていく一本の飾り矢。それは先ほどから空にいた一匹の鳥を射抜いて落ちた。
「ずっとあの鳥が目障りだったわ」
息を切らせて玉兔が戻って来た。琥珀の臣が彼女が射た鳥を雄元に掲げてみせた。
「目障りで殺されたら鳥は気の毒なことだな」
「ふん。これは隷が寄越した鳥よ。私たちを監視してたの」
「偵察兵いらずとは羨ましいものだ」
雄元は純粋に隷を羨んだ。彼は永明を二日前に偵察に向かわせていたし、捕らえられている寧の捕虜を放つように金維央に命じて寧の都へと差し向けてもある。兵はこれからも増えるはずであるが、そういう細かな仕事に雄元たちは人を使わねばならない。
「我が君にはそう言う力はないのか」
「だから我が君とは呼ばないでって言っているでしょう。それにそんなに隷がいいなら隷と組めば?」
玉兔はへそを曲げた。気の長い雄元ではあるが、呂雲に目配せをすると、玉兔の横に車を並べ、無理矢理彼女を馬から引きずり下ろした。腕の中で暴れる玉兔の耳に雄元は閨の中でのみ分かる言葉をささやいて、それ以上の抵抗を封じると、さっさと薄絹で帳をめぐらした馬車に押し込んだ。
「将軍もそれなりに私の趣味を悪くは思ってはいないようで安心いたしましたよ」
一段落ついたと雄元が胸を撫で下ろすと、琥珀が憎たらしい言葉を残して彼を追い越して行ったのであった。