落陽記
落陽記
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その夜の宴席上で、寧からもたらされた黄金の寧公の冠が玉兔の小さな頭に乗せられた。龍の袍を着た少女は、長い睫毛を瞬きもせず、黒めがちな瞳をまっすぐに居並ぶ男たちに据えていた。
宴がたけなわになり、男たちの居住まいが崩れてもそれは変わらずに、彼女は辛抱強く与えられた役割を果たさんとしているように見えた。
「公主を公などにして、よろしかったので?」
黒充夏が席上で雄元に小声で訊ねたが、彼は笑って
「俺はどうも二番手があっているようだ」と言った。
たしかに、彼が興の王になる事も出来たのに、英を擁して将軍に甘んじた雄元である。玉兔をまず寧の公に立て、寧の復興を旗印に遺臣をあつめ、興と戦い、そして後々奪った興の土地から雄元が独立し、一国を治めるというのは、悪くない計画のように黒充夏には思われた。
「雪が融けたら興は大軍で押し寄せてまいりましょう。国中の兵をかき集めて五万、あるいは六万という数が平邑目指します」
陶羽が盃を傾けて憂慮している事実を雄元に告げた。他の重臣たちもそれに深く頷いた。
「数の上ではこちらは劣っているが、相手は蘇学だ。負けない戦を仕掛けてくる。それが命取りと知らずにな」
「蘇学など恐れるに足りない」
「だが西夷も黙っていますまい」
重臣の口からさまざま言葉が飛び出したが、その中で
「西夷には使者を差し向けるべきです」
と、琥珀のみが西夷を懐柔する案を声高に唱えた。しかし西夷を蛮族として見下している元興人たちは白い目をこの寧の臣に向けた。西夷と興は長年戦いに明け暮れ、不誠実に違約されたこともあるために興人は西夷を信用できないのである。
「しかし、寧と西夷は同盟を結び、悪い関係ではなかった。寧公の求めで兵を貸して欲しいと言えば貸してくれるでしょう」
「愚かなことだ。特に西夷から借りるぐらいなら、六万に四万の兵で戦うほうがましだな。寧の将は夜伽以外のことは何も知らない」
陶羽が鼻で笑った。むっとした楊琥珀は、立ち上がろうと拳を握った。しかしそれは少し固くなっただけで途中で止まった。それを止めたのは雄元でも呂雲でもなく、今まで壇上の飾り人のように黙っていた玉兔の声だった。
「使者は西夷に送る。ただし、西夷だけではなく、東の隷や南の宛国や極国にも使いをやる」
酒に酔った男たちの顔から酔いが一瞬にして消え、少女の顔を見た。まるで神意を伝えるようなそんな厳かな響きがその声音にあったのである。黄金の冠が鈍い光を放った。
彼らは、陶雄元が臣下に下った理由が、彼女の血筋や、色恋だけではないのだと、そのとき初めて気がついた。ある種の絶対的な力をこの人の声は持っていた。陶雄元将軍は、ただの飾りにこの女を公の座に据えたのではなかったのだとそれぞれが思った。
「雄元、会盟を開く。興は一国ではなく複数をもって攻めるわ」
雄元は玉兔を見上げた。それは巫女の顔であり、公の顔であった。彼には玉兔の案には懸念せねばならない点は多かった。第一に、彼女が呼びかけて各国の王や公が一同に集まるのか。特に架国にいるらしい隷は一癖も二癖もあるかんなぎである。
あの男は軍などではない不思議な力をもって興国を潰そうとしてくるに違いない。会盟などというもの無意味な気がする。
しかし、玉兔がやるという限り、何か確信めいた予感があるはずである。それが目の前にある玉兔の表情に現れている。ただの少女の顔ではなく、かんなぎの顔として。
「我が君の仰せのままに」
初めて雄元は玉兔に跪いた。玉兔にかんなぎとしての勘があるように雄元にも将軍として勘があった。それは彼女に跪くという行為によってより神聖になる。
「ただし時間が掛かります。同時に南下して興軍とは一戦交えなければならないでしょう」
「なら、次に月が満ちるまえに動くといいわ」
それは完全なる天の意。琥珀が九拝した。
次に月が満ちるまでに四日しかなかった。偵察も放たねばならない。雄元の脳が忙しく回り始めた。こんな時に李敬健がいてくれたのならと思わずにいられない。だが、彼はもうこの世にないのを既に陶羽から告げられていたのである。
「無礼をお詫びするようにと言付かりました」
無礼どころか、李敬健以上に忠臣はいない。崩れ落ちそうな自分を支えるだけで雄元は精一杯であった。
今、この幕閣を見回しても彼に並び立つ軍師になり得る人物はいない。陶羽は若く、呂雲は根からの武人であり、楊琥珀が頭脳に関して冴えたものを持っていたが、あざとさを拭いきれない。
自分と玉兔の力を信じるしかない。
「月が満ちる前に動く」
雄元は、決定事項を居並ぶ臣に低い声で下した。