落陽記

 

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一行は郡令の屋敷に滞在することになり、湯をつかった玉兔が濡れたままの髪のまま部屋に戻ると、雄元が迎え入れた。


「少し雪焼けしたな」


「誰のせいよ」


頬をなぞった雄元に玉兔は冷たく言い放った。


「えらく不機嫌だな」


「静かにして。日が沈むところなのよ」


玉兔が窓を両手で開けた。赤い夕日が彼女の顔を染めた。細く長い指を重ねながら、玉兔は跪き、傾いた日が彼女の影を長く引きずった。


「何が視える」


「なにも。しずかに」


玉兔は瞳を瞑った。心の中に隷が浮かんだ。いつもなら隷の気は静、あるいは清を表している。しかし今、玉兔には彼に動を感じた。激しい気の動き。それは怒だったり、欲であったり、勇であったりする。雄元や他の人間たちとさほどもの違わぬ気の色合いである。


「隷が視える」


「......」


「何かが始まるわ」


玉兔は隷の言葉を思い出した。『終わりは始まりへの過程だ』と彼は言っていた。隷は興を滅ぼし、何かを始めようとしているのだ。


『隷』


太陽の巫女は片割れとも言うべきもうひとりの太陽のかんなぎに呼びかけた。草原を隷は馬で駆けていた。『隷』ともう一度声を掛けると、馬上の彼が空を返り見た。潮の匂い。海の近くに隷はいる。


「隷、隷」


手を伸ばせばそこに隷がいるような感覚。玉兔は彼の白い髪に触れようとした。絹のようなそれが玉兔の指をすり抜けて行った。駒の足を止めた隷。玉兔はもっと彼に近づこうとしたが、東の隷よりも西にいる玉兔の方が早く日が沈んだ。


途切れた幻想。


玉兔はため息を洩らした。


「隷が視えた。東にいる。海の近くよ」


「金烏公子の母は東の架(か)というところの出だ。きっとそこの一族を頼ったのだろう」


「隷は何を考えてるのかしら」


「たぶん、興の再興だろう」


「再興って?」


「先王は興の王族を殺して王位についた。金烏公子は唯一の直系王族だ」


「......」


「先王の作ったまやかしの興は滅びる運命にある」


雄元は日の落ち切った空を見ると窓を閉め、玉兔の首筋に顔をうずめた。腰に回された腕。しかし、玉兔の頭からは隷が離れなかった。


「ねえ、隷は私が必要だから寧を攻めさせたのかしら」


「......さあな」


「金烏宮に張られた呪縛を解くのに私が必要だったのよ」


「だったらなんだと言うのだ」


雄元が玉兔の身体を寝台に倒した。彼女は親指を噛んだ。悔しい時の彼女の癖である。


「やられたわ」


玉兔が声を立てて笑った。からりとした笑い声である。


「でも二度目はないわ」


白い肢体。円みを帯びた線。ふと雄元がそれに手を伸ばそうとした時、玉兔はするりとその腕からすり抜けて雄元を見下ろした。彼女の髪が雄元の頬に掛かった。


「もう誰にも私を利用させない」


「......」


「それはお前も含めてよ。陶雄元」


玉兔の冷たい両手が雄元の首を掴んだ。雄元はにやりと笑みを洩らすと、彼女を見上げた。


「ならばお前が俺を利用するがいい」


「もちろんそのつもりよ」


「俺が中原の王になったら、お前を寧の公にしてやろう」


玉兔の手に力が入った。


「私が王になり、お前を公にしてやるわ」


「お前が中原の覇になると?」


「私以外に誰がいると?お前?私は天帝の子。九つの太陽」


雄元は彼の首を絞めていた玉兔の腕を払い、再びその小さな身体を組み敷いた。すると一瞬にして玉兔は、その眉に男に対する恐れを表した。それはあまりに少女じみた顔であった。


「昼間はそれで許してやろう。だが、夜はそういうわけにはいかない」


雄元は、誰が本当のところ力を握っているのか、ときどきこの亡国の公主に知らしめる必要があった。

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