落陽記
落陽記
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「ここが平邑......」
玉兔は初めて見る哲郡の郡都、平邑に言葉を失った。想像していた街とは違う。閑散としていた他の興国の街と比べ、その繁華な様子は異色であった。
「まあまあ見られる街になったな」
それまで商業を商うのには煩雑な郡令からの許可が必要であったが、雄元は自分の代になってから、この平邑での商業を自由化した。北国のここでは作物もこれといって育たない。ましてや、昔から複数の国がこの地を収め、そして滅んだためにその民族も構成も複雑なこの平邑において、商こそが命綱とも言えた。
「ここには何でもある。欲しいものがあれば言え。買ってやる」
玉兔は馬上から市に並ぶものを見た。絽陽の女官が着ていそうな絹から、東方の真珠で出来た簪まである。そうかと思えば、西夷の男が好んで履くような革の靴もあった。
「最近ではここに一旦品物が集まって、それから各国に散らばるそうですね」
商人の真似事で金を稼いでいた琥珀が言った。
「ああ、いつ興王に返せと言われるかとひやひやしたものだ」
「将軍がここにいれば武力で奪い取りに来るのは必定かと」
「そうなるかもな。だが哲郡も平邑以外は使い物にならない土地だ」
「買い物は後にいたしましょう、公主。急いで郡令を押さえねばなりません。絽陽に我らのことを告げられたら大変です」
玉兔は琥珀に頬を膨らませて見せた。象牙でできた指甲套を見つけたからであった。
「呂雲、あれを買って来てやれ」
雄元が腰に差していた匕首(ひしゅ=短刀)を呂雲に手渡した。物々交換しろというといっているのであった。しかし、楊琥珀がそれを見て首を振った。
「他にも公主のお召し物を買わなければなりません。私の部下をやりましょう。呂雲では公主のお気に召すものを選んではこれないでしょうから」
砂金の袋を琥珀は懐から出した。実のところ、匕首とはいえ、将軍の使い慣れた刀を手放すのを琥珀は惜しんだのである。雄元は物に無頓着であるので匕首の一つや二つ気にしないが、琥珀の気遣いを黙って受けるだけの度量はあった。
「さあ急ぎましょう」
「いや、急ぐ必要はない」
琥珀は首を傾げた。ここ数日寝る間も惜しんでここまで来たというのに、なぜ雄元は平邑に入ってから悠々としているのか。しかし、彼の疑問は直ぐにとけた。
「やっと迎えが来たようだ」
と雄元が指差した先に、転がるように街道を馬車がこちらに向かって来たのが見えたからである。
「陶将軍、よくぞご無事で」
下車した県令は雄元の衣に取り付かんばかりに喜んだ。五十を少し越えたぐらいの痩せた男である。雄元はそれに苦笑すると玉兔を馬から下ろした。
「馬車に乗せてやってくれ。疲れているのだ」
「奥方さまで?」
「まあ、そんなところだ」
「寧の公主さまです。丁重に」
琥珀が付け加えた。玉兔は雄元の妻ではないと訂正する元気もなく、大人しく雄元たちと馬車に乗り込んだ。
「絽陽から何か知らせはあったか」
「李敬健(りけいけん)さまよりの使者が三日前に着きまして、将軍がこちらに向かっているとのこと、そして寧にいます四万の兵をこちらに差し向けたとのこと」
「気が利き過ぎる男だ......」
雄元は口にこそ出さなかったが、李敬健を案じていた。寧の兵を王の許可なく全て撤退させたら、どうなるか。言わずとも彼には十分想像出来た。
「寧は西夷に侵されますね」
琥珀は寧の心配をしたが、それはどうしようもない。雄元は肩を叩いてやった。
「こちらには姫巫女がいるのだ。自ずと寧はあるべき主のもとに帰ってくる」
「そうだといいのですが」
馬車が揺れた。雄元にも楊琥珀にも心の揺れはある。しかし、その揺れに身を任せてはならない。雄元は険しい目を上げた。
「興とは戦になる。覚悟しておいてほしい」
男たちは剣を握って雄元を見た。