落陽記

 

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雄元は面白くはなかったが、楊琥珀(ようこはく)たちを平邑(へいゆう)への旅の道連れとするのを許した。彼らは寧の遺臣である。玉兔を諦めるはずはない。たとえ、雄元が否と言おうと、ついて来るのは目に見えている。あるいは、山賊などを金で雇って少数の雄元を襲わせることも可能であることを考えれば、それが一番危険が少なかった。



「お召しかえください」


朝、琥珀の姿が見えなくなったかと思うと、昼過ぎに一行に追いついた彼が包みを掲げて言った。玉兔に着るものを買って来たのであった。


今まで絽陽からずっと同じものを玉兔は着ていた。冬場とはいえ、玉兔の思考に洗うなどという発想は存在していなかった。洗おうにも着替えもなかった。


琥珀が広げた衣は商人の娘といった装いで、今までの貴族然とした格好では目立ち過ぎたので安全面からもそれは必要なことでもあった。


「こんな衣は初めてね」


「粗末なこのような衣を玉兔さまに着て頂くのは心苦しい限りです」


「いいの。気に入ったわ。馬にも乗りやすい」


萌黄の袖が、まるで雪に萌える若菜のようであった。



どうやら琥珀は国が滅んでからは、寧の酒を売って旅していたらしく、各地の情勢にも詳しく、雄元としてもその洞察力と情報網には一応の敬意を払わなくてはならなくなったほどである。ましてや、玉兔のことに関しては、雄元や呂雲のような無粋な武人と違ってよく気がつくので、食さえも細かった巫女姫がだんだんと元気になった。


楊琥珀という男は、将というより、官吏と宦官の間のような存在である。時に雪を見て詩を詠んだかと思えば、玉兔の髪の乱れを心配をした。全く呂雲とは話が合わないが、忠義心の厚さは似たものがある。


「琥珀、お前は武人には向かないな」


「自分でもそう思います。商人の方が向いていると思ったぐらいですから」


雄元に琥珀は苦笑した。


「お前は、貴族の子息なのだろう?官職についた方が才が伸びただろうに」


「ただ、地味なことは好きではないのですよ」


雄元はなるほどと笑った。確かに机の上の書類に埋もれて日がな一日を過ごしていそうな男ではない。王の近習として華やかな武具が似合いそうである。


「しかし、俺について来る限り、地味なこともやってもらわなければならない」


「それが、玉兔さまのためになることでしたら」


「まあいい。お前に玉兔に関係ないことを頼んでも動きそうにないからな」


「将軍はどのような地味な仕事を私にお求めなのですか」


「各地に散った寧の遺臣を集めて欲しい」


琥珀はなんだそんなことかと口元を歪めて笑った。そういう笑い方は内面のねじれを映しているのだが、ある意味正直であり、偽善ぶる人間よりもましだと雄元は思う。


「西夷にいる人質の公子で安敬公子と呼ばれる人がいます。その人の周りに遺臣は集まりつつあるのです」


「なるほど。それで西夷は寧を返せと言って来たわけか。傀儡の国を作り、中原への影響が増せば、西夷を他国も無視出来ない」


「ただし、その公子は酷く傲慢で残虐な性格を持っているのです。西夷まで足を運んだ臣下は今頃後悔しているのではないでしょうか」


「ははぁ。それは血筋ではないのか」


雄元の言葉を証明するかのように、後ろから金維央を罵る玉兔の声がした。二人が振り向くと、どうやら金維央(きんいおう)が玉兔の裾を踏んで転ばせたらしい。琥珀に買ってもらったばかりの真新しい扇の端で跪いて謝る彼を叩いていた。


「玉兔公主は本当にお可愛らしい」


「......」


この光景を見て、玉兔を可愛く思える琥珀に雄元は言葉を失った。どう見ても、あの傲慢さはただ者ではない。あれが安敬公子であったらと思うと、それに仕えねばならない臣が気の毒になった。


「少々失礼いたします」


金維央は武人である。あまり恥をかかせるものではない。雄元が玉兔を注意しようと思って腰を上げかけた時、琥珀が立ち上がった。何をするつもりやら。



「公主、転ばれたのでございますか」


「転ばされたのよ」


むくれっ面を玉兔は琥珀に向けた。


「お怪我は?」


「ない」


「しかし、無礼は無礼。どうぞご存分に」


琥珀は剣を玉兔に両手で捧げた。斬れということである。だが、玉兔はぷいっと琥珀からも顔をそらした。


「もういいわっ」


「......」


玉兔は琥珀の顔に扇を投げつけると、背中を向けて一人沢の方へと歩いていってしまった。



「お前はあのじゃじゃ馬の御し方を知っているのだな」


「お可愛らしい方です」


雄元は琥珀の言葉に苦笑しながら金維央を立ち上がらせると『気にするな』と言った。金維央は姫を転ばせるなどという失態に素直に反省しているらしく、『申し訳ありません』と雄元に謝った。


「あれが安敬公子なら扇で叩く前にぶすっと一つきですね」


「なるほど」


「侍女が袖に茶を零しただけで、殺したこともあります」


「......」


「金維央(きんいおう)殿、早く姫を追いかけてください。怪我をされているのです」


雄元は意外な気がした。なぜ、玉兔は怪我をしていることを琥珀に告げなかったのだろうか。


「玉兔公主は寧では公と同じ、あるいはそれ以上の敬意をもって扱われてきました。怪我などさせたとならば、私は金維央殿を斬らねばなりませんし、やめよと公主がおっしゃっても私や他の寧の臣は内心よしとはしないでしょう。派手にああやって叩いて実のところ許してあげているのですよ」


琥珀は玉兔の扇を拾うと、それを広げて口元を隠した。艶のある流し目。琥珀としては『お分かりになったか』と言っているだけだろうが、雄元はそんな風に男に見られるのは不快で、乱暴に扇を奪うと、金維央が薬箱を抱えて今にも走り出そうとしているのを止めた。


「いい。俺がいく」


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