落陽記

 

85


陶羽が金烏宮殿にたどり着いた時、空には銀色の月が煌々と輝いていた。それが甍に雨の雫のように零れ落ち、湖に宮殿の姿を半分映していた。


―まるで浮いているようだ。


陶羽は馬の手綱を思わず引いた。雲の動きさえも水面(みなも)がとらえ、一瞬一瞬を刻んではゆっくりと進む絵のように彼には見えた。


「陶羽さま、あれを」


離宮のうつくしさに目を奪われていた陶羽に供の一人が指差して言った。


そこにはこの離宮の主、金烏公子の姿が城壁の上にあった。普段垂らしたままの白い髪を一つに結び、白いかんなぎの衣の上に銀の鎧を身にまとっていた。手には白い剣。


―何が始まるというのか。


陶羽は固唾をのんだ。そして二人の視線が一つに合わさると、隷は白虎と共に城壁を飛び降りた。袖が大きく広がり、白鷺が羽を広げたように宙を飛ぶ。ひたりと足先が水につくと白い気を放って髪が逆流した。


湖面を歩く白虎。四つの足が作るさざなみが、月をときどきかき消しながら、岸辺の陶羽に近づいてくる。


陶羽は恐れた。この公子は明らかに人ではなく、白虎は普通の生き物ではない。神獣をあやつるかんなぎである。陶羽の馬が主人の心を感じて後ずさった。


「首を」


「......」


「首をこちらに」


隷の白い手が馬の鼻先に伸びた。


陶羽は自分の恐れを見破られまいと腕の震えを隠して、李敬健の首を手渡そうとしたが、手が滑り、首は湖へと転がった。だが不思議なことにそれは水の上にとどまり、沈むことはない。


「いい首だ」


隷はそれを拾い上げ満足そうに言った。


「き、金烏公子。李敬健殿の首をどうするのです」


「首を離宮の東に埋める」


「一体、ど、どういう理由で......」


隷は陶羽に『ついてまいれ』と視線を送った。陶羽は言われるまま馬と供をそこに残してゆっくりと湖面に足を付けてみた。沈まない。もう一踏みして、確実にそれが地べたと同じことを確認すると、白虎と並んで歩く隷の後に走って続いた。




「ここだ」


それは離宮の東、小さなほこらのようなものがある場所であった。隷は彼にそこを掘るように命じた。陶羽は剣を鍬の代わりに土を掘った。水気を含んだやわらかな土であった。豊かな地。



陶羽は言われるままにその土を掘り進み、やがて彼の剣の鞘が何かにぶつかって鈍い音を立てた時、


「私の兄の首だ」と隷が言った。


「兄というと?」


「太子と呼ばれた人だ」


既に骨だけとなった白い頭の土を払うと隷は静かに腕に抱えて言った。李敬健の首がその空いた穴におさめられ、白虎が後ろ足で土をかける。


「首を差し替えてどうなさるつもりです」


「この金烏宮に閉じ込められている神獣を放つ」


「放つ?」


「その土地その土地で崇められていた神獣たちは、先王によってこの国に集められた」


陶羽にはそれが何を意味するのか分からなかった。一歩踏み出して、それを問おうとした。しが、隷はその足に付けられていた金の足枷を剣の鞘で叩いて外し


「煩わしかった」


と陶羽の手にその足枷は置いた。陶羽は問うきっかけを失った。それどころか、隷の気が白く浮かび上がり、髪が静かに波打ち始めると、もしや自分はとんでもないことに手を貸してしまったのではないかと恐れた。


「あの、公子......」


「気にすることはない。あなたが望む望まないに関わらず全ては既に進んでいる」


「はぁ」


「北に行こうとしているのだろう」


「いえ、それはまだ決めてないのですが」


「行くといい」


「あなたはどうされるつもりなのですか」


陶羽は隷の出立ちを見た。銀の鎧に剣を携えているかんなぎなど見たことがない。


「神獣たちがここからいなくなればこの国は滅びる。少なくともここにある偽の興国はね。私は東に行くことになるだろう」


隷の言葉と同時に遠くで馬がいなないた。


「迎えが来たようだ」


白い旗の群れ。陶雄元の朱の旗でも、興国の黒い旗でもない。東に続くなだらかな山間が白い軍で埋まっている。


「もしやあれは、王功(おうこう)では」


白い一団を指揮する将の顔がさやかな月明りに照らされて、陶羽の目に映った。王功は華応安の臣下であった男である。雄元を殺そうとして以来、姿を消していた。陶羽は剣を抜いた。


「あれは私の臣だ。お前たちの敵ではない」


「......あなたの望みは一体なんですか、公子」


「偽りの興国の滅亡と真の興国の再興だ」

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