落陽記
落陽記
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「王命である。李敬健に死を賜う」
きらびやかな鎧を身につけた近衛の一団が、そろいの馬具を背負った馬に跨がって重々しく李敬健に告げた。松明が掲げられ、そのうちの一人、将とおぼしき男が王の剣を李敬健の前に差し出した。陶羽は驚き、璽書を見せるように唾を飛ばしたが、そこには確かに『李敬健、死を賜う』とあった。
「何かの間違いだ。俺は王より離宮へ李敬健殿を送るように言付かっている」
陶羽は必死に自身が絽陽に戻って命令を確認してから、任務を遂行するように近衛にかけあったが、李敬健にはすべて分かっていた。
「間違いなどではなく、たぶん事実でしょう。王は今になってようやく私が信用ならぬ男だとお気づきになられたのです」
「私がなんとか王を説得します。早まることはない!」
李敬健は陶羽という人が好きになったが、肩をすくめて笑う他なかった。
「あなたは本当に良い方だ。だが事実、私は信用ならない人間なのです。将軍が絽陽を去った後に、寧にあった兵を将軍のもとに私は送るように使者を遣わした」
陶羽は驚きで瞳を見開いた。
「忘れないで頂きたい。私は将軍の臣であり、どういう状況でも臣であり続けるのです。私は異国人であり、興国の王の臣であったことは一度もない」
李敬健は近衛の将の手から剣をとった。冷たい剣の鞘。龍の瞳が彼を睨みつけている。
「ああ、そうだ。『泥の上で死ぬ』と言った人ですが、それは玉兔公主でした」
「玉兔......。それでは」
「将軍こそ天命があるのです」
隠れていた月が大きく腕を広げてみせるように輝いた。白い月。黒い空。それに李敬健の赤い血が加わった。
泥にうつ伏した屍。
静か過ぎる夜。
陶羽は込み上げる荒い息に耐えられなくなった。涙を流すほど、李敬健と仲もよかったわけでもない。しかし、この男こそ真の忠臣であると思えば、男泣きせずにはいられない。
近衛が遺体を無造作に打ち捨てようとしたのを制すると、陶羽は剣を剥いで、その首を切り落とした。今日という日ほど、剣を磨いておいてよかったと思った日は陶羽にはなかった。切り落とした後まで、その感触が掌の中に残る。
「首は俺が貰う」
血に染まった袖を払って陶羽が言うと、近衛の臣は唖然としてそれを引き止める術を忘れた。陶羽は鞍に首をくくり付けると、手綱を握った。
泥を蹴った馬。陶羽の供が慌ててそれに続いた。馬上で、陶羽は不条理な星の巡り合わせを呪わざるをえなかった。たとえ、それは李敬健自身が選んでの道であったとしても、彼が陶雄元という人に捧げた命と忠誠は、こんな形で閉じるべきではなかった。
とうの昔に滅んだ鷺国(ろこく)人であった李敬健。貧しい暮らしの中を勉学に励み、雄元に見出され、その才を発揮した。
『惜し過ぎる』と陶羽は唇の中で言った。
これからいくらでも必要とされる人間であったはずである。陶羽の中からふつふつと怒りが湧いた。
もし李敬健が言ったことが本当であったならば、こうして泥の上で死んだのは彼ではなく雄元であったはずである。蘇学が西方より帰国して、絽陽の王宮を囲めば、たしかに王が周りの意見をいれて、一度確執をもった雄元を殺すことを考えるのも不思議ではない。そうなると、雄元がこの興を見限ったのは、時期として最善であったかもしれない。
ならば自分が李敬健の空いた星に座ってはどうか。
今の興国の状況は真っ直ぐな陶羽の性格にはあわなかった。知謀策謀が渦巻く宮殿、政略結婚で自分を疎んじる公主蓮杏を妻にし、結局王に疑われれば命もない。剣術や馬術のような誠実なるものはここでは必要ではなく、絽陽ではいかに陶太后の機嫌をとり、他者を出し抜くかが、今や出世の近道である。
若き陶羽には、それらは苦痛でしかなかった。
雄元が現在どこにいるであろうか、李敬健に訊ねるのを忘れたことを陶羽は後悔した。陶家は代々豊かな南方に領地を賜っているが、丞相である父、勝林が握っている。もし雄元がそこに姿を現すことがあれば、絽陽にすぐに知らせが来るだろう。
―北か。
北の地、哲郡。雄元が個人的に所有している領地である。その広さだけは興国一であるが、決して豊かではなかった。昨年農民の大規模な反乱のあった揩州(かいしゅう)とは近い。
寧から兵を送ったと李敬健が言っていたが、寧からならばさほど時間をかけずに哲郡の郡都、平邑(へいゆう)に着ける。
陶羽は空を見上げた。
自分の星はいったいどこにあるのか分からなかった。だが、十代の陶羽にとって、親の決めた女を娶り、悶々としたものを貯め込んで生きるよりも、何か分からぬ未知の舞台で馬を駆けさせる方が性に合っている気がしたのであった。