落陽記
落陽記
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李敬健は興王、英を絽陽に迎えた。
陶雄元を追放した功績は一応評価されたが、彼はかなりきわどい状況に立っている。反雄元派が政において重きをなしている現在、李敬健を信用する気配は皆無であった。ましてや、敬健は主人である雄元を裏切っての王への貢献である。李敬健の頭脳の鋭さを知る英は警戒した。
「母君はしばらく王宮に滞在なさるといい」
ひっそりと田舎で暮らしていた李敬健の母を人質として王宮に住まわせ、李敬健には離宮へ行くようにと沙汰があった。事実上の幽閉である。
「まあ、殺されなかっただけましですね」
護衛というより護送の任についた陶羽にそう話し掛けたが、羽は雄元を裏切った軍師を一笑した。
「李氏。安心されるのは少し早い」
「陶羽殿、あなたが私に将軍を諌めろと言ったのですよ」
陶羽はむっとした顔をそのまま向けた。
「......。だからといって将軍に供を三人だけつけて追放しろなどと誰も言わなかった。あの人は王に対して不遜な態度をとったが、王の従兄であり国の英雄だ。春になれば西夷も来る。陶太后も王も内心では雄元将軍にそれにあたって欲しかった」
「それはずいぶん身勝手な要求というものです。あの方は、いつまでも誰かに跪いているような器でないのは陶羽殿もご存知でしょう」
「......」
「噂では蓮杏さまと陶羽殿がご結婚とか。陶将軍に逃げられて一番困っているのはあなたでしょうか」
陶羽は李敬健に正直にため息を洩らした。昔から雄元に片思いしていた公主蓮杏は、幼い頃から陶羽を蔑ろにしてきた経緯もあり、急に結婚相手にと言われても正直嬉しくはない。
「まったくえらい迷惑だ。将軍を探し出して蓮杏さまとの華燭の儀を整えてやりたい気分ですよ」
「それこそ無理な話です。お諦めになってあなたが蓮杏さまを妻に迎えるのですね」
「将軍が一国と女を秤にかけて女を選ぶような人だとは思いませんでした」
羽が多少の落胆をその瞳に刻んだ。憧れの存在であった従兄が、女を選び、国を追われたこと自体が失望でしかなかった。
「さあ、それはどうか。あの方は一国ぐらいでは収まりきれない方だ。この廃退した興国を捨てたのはよいことだと思います」
「捨てたのではなく、あなたに追放されたのでしょう?李敬健殿」
「いや、将軍は自ら興を捨てたのです。将軍が選んだのはただの女ではない。天命を持つ女ですから」
陶羽は敬健の言葉の意味が分からずに眉を寄せた。だがその顔に敬健は余裕の笑みを返した。
「将軍はきっと王となられるでしょう」
「まさか......」
「ごらんなさい。将軍が運命を変えたので、陶雄元という男の星が空いている。それに代わりに私が乗ろうと思うのです」
夜空を指差した李敬健の言葉を陶羽は信じられなかった。李敬健は気が触れたのだろうかと思ったほどであった。
「陶羽殿。今、私の宿星が空いている。あなたが将軍を助けたいというのなら急がれるといい」
「将軍は今どの星を宿星といているのですか」
「ほら、あそこにある星です」
北辰。
北の空を司る宇宙の中心。
陶羽は笑った。冗談を言われているのだと思った。
「では将軍の運命を得たあなたはどうなるのです?」
「泥の上で死ぬらしいのですよ」
李敬健も笑った。月明かりが不吉を口にする割に明るく彼を照らしていた。
「泥の上とは、将軍らしい死に際でしたが、あなたには似合わない」
「まあ、そうですね。でもそれは十中八九確かなことです」
雲が少し月を陰らせた。
「そう九つ太陽のかんなぎに将軍が言われたらしいですから」
「ほう?金烏公子がそんなことを?」
李敬健が頭を振った。だが玉兔の名を告げる代わりに気にかけていたことを口にした。
「お願いしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「......」
「私にもし何かあれば、首を金烏公子(きんうこうし)に渡して欲しいのです。あの方は首を集めておられるのですよ」
「首をですか......」
「はい」
李敬健の瞳が陶羽を見据えた。男と男の約束なのだと告げている。李敬健の処罰は一時的な離宮にて幽閉と決まっているので、陶羽には李敬健が死ななければならない理由は分からなかったが、真剣な眼差しに陶羽は頷くほかなかった。
「ほら、来ました。先にいかせて頂きますが、どうぞお許しください。もし将軍と再び会うことがあれば、臣の王宮での無礼を代わりに謝っておいてください」
「李敬健殿?」
陶羽は李敬健が差し示した方向を見た。そこには明りが、馬の背とともに凄まじい速さで迫ってきていた。