落陽記

 

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楊琥珀(ようこはく)。


玉兔の記憶が正しければ、寧宮一の美男と呼ばれた男である。大臣の子息であり、その見目の麗しさから、禁軍(近衛)に選ばれ、寧公近くに仕えていた。


「女官たちがよく噂をしていたから憶えているわ」


「玉兔、お前もそれに一緒になって騒いでいたのだろう」


「私?私は伊士羅が好きだったから」


悪意なく玉兔は雄元に否定したが、呂雲たちは将軍の内心を思って凍り付き、琥珀は苦笑を浮かべた。


「公主に名を憶えて頂けているだけで光栄でございます。寧の王族は陶雄元に皆殺しされたと聞きいておりましたが、まさか玉兔公主が生きているとは......」


「琥珀、あなたはどうして助かったの?」


「公の酒を産地の笛州から運ぶ任を仰せ付けられ笛州にいたのです。知らせを受けて王宮に駆け付けましたが、その時は既に興に王宮は......」


「そう」


「......」


「みんな死んでしまったのね」


「申し訳ございません」


雄元は席を立った。呂雲が手をついた。


「どこに行くの」


「馬を見てくる」


「行かなくていいわ」


玉兔の手が雄元のそれを握って見上げた。無感情の将軍の顔であった。


「玉兔公主を助けて頂きましてお礼のいいようもございません。これは少しばかりではございますが」


琥珀が雄元の足下に砂金の袋を置いた。


「馬鹿にするな」


雄元の低い声が琥珀たちの頭に落ちた。


「一袋の砂金ごときで手放すつもりもない。こっちは一国と引き換えにしてきたのだ」


琥珀が雄元を見た。


「俺が陶雄元である」





雄元は雪の中、琥珀たちを外に追い出すことこそなかったが、それ以降言葉を交わさなかった。夜は玉兔を抱えて眠り、彼女もそれに従っていた。


思い悩んだ末、琥珀は翌朝、寧国再興のために王族である玉兔が必要であると呂雲に説いたが、それは到底受け入れられる要求ではなかった。


食物もつきかけている雄元たちに寧の旧臣たちは食事の用意もしたが、それは当然のように無視された。琥珀としては玉兔を飢えさせるわけにはいわず、公主の前には無理矢理食べ物を置いた。その時だけ、雄元はずっと腕に抱えたままだった彼女を自由にし、小屋の隅で剣を磨いていた。


玉兔は雄元と琥珀の間でどうしていいのか分からず、途方にくれた。雄元が食事を口にしない限り、呂雲たちも琥珀の食事を断るであろう。一口二口箸をつけると、一番年若い金維央(きんいおう)に下げ渡し、川で皿を洗って琥珀に返すように言いつけた。



「出立する」


昼になり日が出ると雄元は呂雲に言い、玉兔を馬に乗せた。日はやわらかで、少しばかり薄物を被せたような昊天に雲にない。この分では数日は雪は降らないであろう。


「お待ちください」


「邪魔をすると斬る」


呂雲は腰に手を掛けて琥珀が雄元に近づくのを遮った。


「呂子、あなたが陶将軍に忠実であるように、私は玉兔公主の臣なのです。禁軍に属しながら生き残った私や、その他の生き残りの寧の臣は、ではどうすればいいのですか」


「知るか」


雄元はそう吐き捨てると、鞍に跨がった。


こうなると玉兔もとりなしようがなかったが、雄元たちの後ろからつきず離れず琥珀たちはついて来る。けが人も無理して騎乗して、旧主の姫に付き従うのだった。


「あまりいじわるしないであげればいいのに」


「いじわる?俺が『いじわる』していると言うのか」


「楊家は寧の太祖以来の忠家よ。供に加えてやればいいわ」


「あの若さで校尉だったというではないか。見目が良いだけで、聞けば腕が良いわけでもない。飾り物の禁軍の校尉など役には立たない。それに俺はあいつの国を滅ばし、家族を殺した。寝首をかかれないとは限らない」


「お前が仇だって言うのは、私だって同じだわ。それに校尉にしては若過ぎるっていうのも、あなただって若くして将軍じゃない。琥珀は、私がお前を殺せと言えば、刺し違えてもやる。でも私が命じなければしない。呂雲と同じ類いの男よ」


「よくあの男のことを分かっているではないか」


「あれは父上のお気に入りの男だったわ。私の護衛もよくしていた」


「そんなにあの男がいいなら一人で琥珀のところに行けばいい」


つまらぬ男の嫉妬であった。雄元は伊士羅にしろ、楊琥珀にしろ、彼の知らない玉兔を知っている男が気に入らないのである。同乗していた玉兔を馬からさっさと下ろすと、雄元は『待ちなさい』と玉兔が怒鳴っているのも聞こえぬ風に一人駒を進めた。


かと言ってそのままにしておけば、やがて琥珀たちが追いついて玉兔を拾うだろう。呂雲が主人の代わりに馬首を返して玉兔を腕をとって馬上に引き上げた。


「呂雲の方が何倍もマシだわ」


大きな声で雄元の背に言ってやった玉兔であるが、呂雲が『公主、どうかそれ以上将軍を怒らせないください。臣が叱られます』と囁いたので、膨れ面をしたまま腹を立てていた。これが李敬健なら一緒に雄元をからかって楽しんでくれただろう。今頃、あの男はどうしているのか。


玉兔は李敬健を思い出すと懐から彼が拾ってくれた翠玉の簪を取り出し、短い髪を馬の背に揺られながら結い始めた。


「呂雲、ここを押さえなさい」


手綱をとっている呂雲の厳つい手首を掴み、公主は頭を指で押さえるように命じた。困惑気味な呂雲。ちらりと見やった視線が将軍のそれと合わさった。


「玉兔、お前は本当に男なら誰でもよいのだな」


「女官はいないし、髪を結うのを手伝ってもらっただけじゃない。男がダメなら琥珀に言うわ」


「......あれは宦官なのか?」


「違うわ。言ったでしょ。父上のお気に入りだったって」


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