落陽記
落陽記
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「将軍っ!」
騒ぎを聞きつけた敬健(けいけん)は目の前に広がる光景に唖然とした。雄元と玉兔を囲う兵。死体が円を作って、兵がじりじりと遠巻きにしている。それは玉兔をかつて寧の王宮で見つけたときのようでもあったが、今、彼女は雄元と手をとってその剣を血に濡らしていた。
「正気ですかっ!」
狂気の沙汰である。
「ああ、俺はいたって正気だ、敬健」
雄元は笑って言った。晴れやかな笑みだった。
「俺の要求は二つだけだ。一つは呂雲。もひとつは馬を三頭」
「......」
「あとはお前の好きにしろ」
李敬健は思わず笑い出しそうになった。それはいつもの雄元であった。『お前の好きにしろ』と言いつつ、後始末の全てを自分に押し付けて来たのだ。このまま雄元を逃がせば、全ては自分の責任となる。離宮を占拠したのも、王を幽閉しようとしたのも、すべて自分の罪となる。
「あなたには負けましたよ」
「何がおかしい」
「せいぜい時間稼ぎをいたしましょう」
李敬健は兵に剣を下ろさせた。
雄元たちは兵に囲まれたまま城外に出された。要求した供は呂雲のみであったが、彼の直属の臣が他に二名許されて、計五名となった。
「落とし物ですよ」
見送りに出た李敬健は、そう言って玉兔に翠玉の簪を差し出した。どこかで聞いたことがある台詞だと玉兔は思った。
「髪がこんなだから必要ないわ」
「でもこれはあなたが持っているといい」
「......」
「草原であなたの簪を拾ったのは私ですから、ずっと持っていって欲しいのです」
「......ありがとう」
あの時、玉兔は礼を言わなかった。だが、今の彼女はそれが自然に口から出た。月の影が注ぐように自然にそれは玉兔の口から出て、李敬健の心に沁み入った。
「王に対する不敬の罪で陶雄元を追放する。絽陽に再び姿を現せば、極刑に処せられるだろう」
李敬健の声は高らかと五人の馬の背に響き城門は閉じられた。
*
「どこにいくの?」
「さあ、どこに行こう」
駒を進めてみたが、そこまで考えていなかった雄元に玉兔は肩を落とした。呂雲が彼の代わりに行き先を考えた。
「将軍、宛はいかがですか」
「南東は星のめぐりが悪いわ、寧がいい」
「寧はダメだ。俺が何人寧人を殺したと思っているのだ。のこのここんな少人数で行ったら殺されるのがおちだ」
「......」
「北へ行く」
「北へ?」
玉兔と呂雲は顔を見合わせた。この寒空の中、北は厳しい。
「俺は俺の星を北辰と決めた。北へ行く」
呂雲も玉兔も将軍のつまらぬ確信に何か言おうとした。だが、玉兔は北に悪い気を感じず、呂雲は、北東に王より賜った領地があることを思い出してそれを止めた。
「李敬健は大丈夫かしら......」
「あいつの名はもう言うな」
「でも」
「あれは俺を裏切った。それだけだ」
玉兔は、雄元の強い語気に黙ったが、李敬健が雄元を裏切ったとはとても思えなかった。懐から簪を取り出してそれを握りしめた。そして呂雲に問いかける視線を送ったが、彼は首を振っただけであった。玉兔の後ろからついて来る二人の臣も同様で、彼女の視線から逃げるように顔を伏せる。
「寒くなりそうね......」
「せめて雪が降らないように祈ってくれ」
雄元が馬を玉兔の方へ寄せて手を伸ばしたが、玉兔はそれを無視して馬の歩調を速めた。呂雲たちが苦笑を浮かべた。玉兔のそうした態度は、どこかこの暗い一団を和ませる。泣いたり、怯えたりされるより、よっぽどいい。
「お前たち遅いわ」
まるで自分がここにいる男四人の主人のように彼女は振り返った。
「惚れた弱みとは恐ろしいものですね」
「黙れ、呂雲」
笑いが洩れた。
雄元はひと時笑うと、この場に李敬健がいないことを寂しく思った。辛辣な嫌味は呂雲よりも敬健の方が得意としていた。
―馬鹿な男だ
雄元は悪役を結局引き受けた李敬健のことを夜空に祈ってやらずにはいられなかった。頭のいい男だ。そう簡単にやられることはないだろうが、興国の未来は必ずしも明るいものではない。
結局のところ一国の存亡を捨てて、一人の女をとったことになる。
「まあ、人生なんてそんなものだろう」
「え?何か言った?」
「なんでない」
「変なひとり言なんて言わないで。気持ち悪い」
肩をすくめた雄元に、後ろの三人の男が笑った。そして『黙れ』と将軍が怒鳴り、再び失笑をかう。そんな旅の始まり。月が満ちて道を開く。雄元は自分の未来に多少の明るさを感じた。