落陽記
落陽記
7章
73
興国は二つに割れた。
正しくは陶一族が二つに割れたと言ってもよかった。王を押す陶太后に叔父である陶勝林の王派。そして絽陽にいる陶雄元の二派である。一時は離宮で王を幽閉するのに成功した雄元であったが、すぐに王は近衛の軍によって助け出され、離宮は王派に占拠された。
雄元は絽陽にある軍の大部分を握っていたが、担ぐ大義名分がない分、文官たちを丸め込む手だては少ない。
一方、金烏宮にいる王派は、王に非礼を続ける雄元を征伐せよと皆息巻いていたが、陶勝林の臣である蘇学は未だ西方で西夷にあたっており、近衛では数が少なく、現実に雄元に兵を向けるだけの力がない。
必然的に刺客が雄元の元に飛ばされるようになった。
ときどき、雄元の枕元が騒がしくなり、それ以来、彼は玉兔を傍らにおいて眠るようになった。
横で寝ていた玉兔が先に殺気を感じて雄元を揺すぶって起こし、呂雲が王宮をしらみつぶしにする。そういう便利性を説いて玉兔を納得させたが、実際には彼は枕代わりに玉兔を抱いて眠らなくては安心できないのであった。
食べ物にも細心の注意を払い、次第に忍び寄る敵に備えた。
かといって、雄元がそんな状況に手をこまねいていたわけでもなく、湖に浮かぶ金烏宮への食の運搬を断たせていた。あとはどちらが先に耐えきれなくなるのか、我慢比べと言ってもよかった。
「将軍、そろそろ和議を結んだらいかがですか」
そう離宮よりやってきた陶羽は遠慮なく言ったが、雄元の代わりに李敬健が
「そちらが先に謝罪されれば考えましょう」と答えた。
「金烏公子(きんうこうし)が和解の仲裁を申し出てくれてはおりますが、王がお立場上将軍に謝罪できないのは、李敬健さまがよく分かっていらっしゃることでしょう」
「......」
「王は兵に食物を譲り、一日一食しかお召し上がりになりません。冬が深まり、完全に西夷も引き、蘇学は帰国いたします。そうなれば立場は逆転します。私は王派に属してはおりますが、これは将軍のために申し上げているのです」
雄元は陶羽の言葉を長椅子に横たわったまま聞いていた。年が改まるまでには蘇学は帰国するだろう。だが、それまで王は持つのだろうか。王が一日一食しか召し上がらないということは、かなり離宮内での米の備蓄が減っていることを表すし、同時にそれも厭わずに長期戦に備えているという態度のようにも見える。
「近々、王は金烏公子をこちらに差し向けることでしょう」
「......金の足枷を外して、あの公子を自由にするというのか」
「では誰の言葉なら将軍は耳を傾けて下さるのですか。私とは面会してくださいますが、相手にして下さっているようには見えません」
雄元は目を瞑った。夜よく眠れない。玉兔の寝息を聞いて心地よくはなるが、深い眠りにつくことはなかった。常に左に玉兔を抱きに右に剣を抱いていた。
そして夢心地の中で、寧の春に玉兔と花を愛でることや、草原を馬で駆けることを思い描く。それは玉兔が語る寧の世界であり、現実ではありえなかった。彼女の語る寧の宮殿の美しさは、既になく、灰にならずに残った柱だけがいくつか残っているだけであったし、彼女が馬を駆けた草原は、忘れ去れた兵の屍骸が野ざらしにされ、異臭を放っているだろう。
「正直、俺はもうこの国がどうなろうとどうでもいい」
「......将軍」
「西夷がここを欲しいならくれてやれ。農民は反乱を繰り返し、王は臣を信用しない」
李敬健が陶羽に『将軍はお疲れなのです。もうよろしいでしょう』と退席を促した。彼はため息を大きく一つついてから、立ち上がった。
「李氏。将軍の説得を出来るのはあなただけだ。どうぞ、女一人のためにこのような愚かな対立を長引かせるようなこと止めて頂きたい」
「お父上にはよろしくお伝え下さいますよう」
「......」
見送りに殿の外に出た李敬健に謝辞を述べると、踵を返した。が、振り返り様に誰かとぶつかった。『無礼なっ』と口走りそうになった陶羽であったが、彼の胸の中にいたのは、異国の公主だった。
大きく髪を結い上げて、きらびやかなな簪を挿した女。もう存在すらしない寧のしきたり通りに眉間に碧い花鈿(かでん)を描き、時代錯誤な宮廷衣装をまとっている。
「離してっ」
思わず見惚れていた陶羽の腕を玉兔は扇で打ち付けて言った
「っつ?!」
陶羽は驚き、そして眉を吊り上げた。しかし、姫の代わりに李敬健に、『大変失礼いたしました。公主は誰にでもこうなのでございます』と頭を下げられては何も言えない。不遜な態度の亡国の姫に文句の一つも言ってやりたかったのをぐっと飲んで、『いえ......』と頷いた。
「玉兔公主、陶羽殿です。憶えていらっしゃるでしょう」
「......」
「申し訳ございません。将軍に対してもこのような態度なのです。王のもとに使わしましたら、一体どういう無礼を働くやら見当もつきません」
苦笑まじりにそう言った李敬健を玉兔は無視して雄元の部屋へと消えて行った
「将軍も王もあれの何が良いやら私にはちっとも分かりませんね」
腹立ちまぎれに陶羽はそう言ったが、実のところ、この少女の美しさなら天帝さえもその態度を微笑みをもってお許し給うに違いないと思ったのであった。