落陽記

 

70


霜月の雪は三日してからやんだ。


形ばかり残っていた木の葉も急な雪と冷えのせいで舞い落ちて、残ったのは寒々とした景色のみであった。


李敬健は雲の間からのぞく太陽を見て、玉兔は笑っているのだろうかと考えた。雄元から遣いが届き、一部の高官たちは絽陽に戻されることが決まり、離宮は盆がひっくり返ったような騒ぎであったが、なぜか敬健だけは晴れの空に頬を緩めた。


「李敬健さま」


「陶羽殿」


そんな軍師を引き止めたのは若き陶羽。まだこの青年の処置は決まっていなかった。雄元は純朴で一途な性格の従弟を可愛がってはいたが、同時に持て余しているのも知っている李敬健は、なかなか陶羽の帰京を将軍に進言出来ずにいたからだった。


「将軍はいったいこの興国をどうされるおつもりなのでしょうか」


「......」


「百官は皆、口を揃えて将軍の王への不敬を口にしています。このままでは王や陶太后も含めた王族をここに幽閉して、将軍が王位につくのではとまで案じているのです」


「お言葉には気をつけられよ。将軍以上に王に忠実な臣はおりません」


「しかしながら、私が言わずして誰が言いましょう」


「お身内だからこそ、口は慎まれた方がいい」


雄元の性格からして、陶羽に二度目の許しは決して与えられないことを敬健は十分知っていた。戦線を離脱して、雄元を諌めた行為は勇敢ではあったが、愚か過ぎる出来事であった。あれを雄元が許したのは血ゆえのこと。そして二度目がないのも血ゆえのことである。


「王も焦っておられる」


「畏れ多いことです」


「私はただ今より、王の使者として絽陽に行くことになったのです」


「王の?」


「と、言うよりも陶太后のと申し上げた方がいいかもしれませんが......」


陶羽は声を潜めた。眉を敬健は上げた。


「玉兔公主を離宮に戻すようにとのことです」


将軍の優秀な軍師は、彼女が九つの太陽であることがあばかれたのだと思った。なにしろ、西夷を追い払う雪を降らすことのできる巫女である。王が彼女の存在を知れば、その権威を増すのに彼女の力を欲するのは必定。


「陶羽殿、それは一体どういう理由で?」


敬健は、だから陶羽にわざとそう訊ねたが、十も年下の陶羽が『何を馬鹿なことを訊ねているのだ』と怒りとあきれを含んだ視線を返した。


「もちろん、閨事の話です」


しばらく驚きで李敬健は言葉がなかった。そして陶羽が雄元を批判しながらも、王の使いという機密を洩らす意図が、玉兔をこの男も惚れているためであることに気付いた。


「陶羽殿、それは蓮杏さまの件で仕返しでしょうか」


「そんなところですよ。李子。王は、というより、太后は陶将軍の愛姫を取り上げて、どちらが本当の王であるのか、このあたりで示しておきたいのです」


「......あなたもそんな遣いに絽陽に行ったら将軍に斬り殺されかねませんよ」


李敬健は頭を抱えた。当然、雄元はこの話をつっぱねる。雄元さえ未だに手を出していない玉兔は巫女であり、その力なくしては、雄元も政務に支障がきたすだろう。だが、雄元はそれを王に告げることはない。将来的に玉兔が利用されることを恐れるためである。


「将軍に選択の余地はないのでは?王を蔑ろにしてきたことは事実なのですから......」


敬健は苦笑を浮かべ肩をすくめたた。


「困ったことです」


「李氏、将軍にはもう玉兔公主を一夜ぐらいお貸しして王の面目を保つ以外はないのでないでしょう。そうでなければ、太后も王を支える臣らも納得いたしません。ですから何度も私は将軍に王を疎かにするのはどういうことかと、申し上げてきたのです」


「一夜とて将軍は頷くはずはございませんよ」


「王との間に亀裂が入ってもですか?」


「玉兔公主の乙女を献上するほど将軍が寛容な方か、あなた自身が絽陽で確かめるのがよろしいのでは?」


「乙女?!」


今度は陶羽(とうう)が声を失う番であった。


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