落陽記

 

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玉兔が日の巫女の印を得たことを母は喜び、寧公に報告したのは、十三の時。


妃の一人とも数えられなかった母が殿を賜り、そして玉兔は寧の国において生き神のごとく扱われた。薄絹の簾の垂れた向こうに椅子があり、天の声を公に伝え、その執務を助けた。


贅は欲しいまま。常に人は額ずいてその頭の黒さだけしか玉兔には見えなくなった。それはその後の彼女の我がままの原因とも言えたが、同時に孤独な心の裏返しでもあった。父である公にさえ、時には縋り付かれるのは、十三の少女には耐え難いものである。


当然のごとく伊士羅との約束もなかったことになり、二人はそれから言葉を一言もかわしたことがない。


たまに遠くで伊士羅を見かけることはあっても、彼もまたしずしずと歩く巫女姫に頭を下げる固まりの一つでしかなくなった。


「西夷に遣わされた寧の人質の死にともなって、人質の交換をすべきか、それともこのまま公子伊士羅をとどまらせるべきか」


そう公に卜占を頼まれた時、迷わず玉兔は


「質は新しくすべし」と無表情に、気高く、そして絶対的な低い声で言った。だが、それは神の声ではなく、玉兔の意志。


簾の前で公と重臣たちが九拝して立ち去ったあと、その時も靴先を玉兔は見つめた。彼女は伊士羅が自分の知らない伊士羅となることを恐れた。誰かが自分の代わりに彼の妻となり、馬を引いて野を並んで歩く......。そんな空想をすると、不安になった。


玉を髪にかざり、長く長く裾を引く衣を縫わせ、そんな不安を玉兔はぬぐい去ろうと試みた。誰かが、『日の巫女よ、どうぞ国を傾ける浪費はお考え直し下さい』と額を上げたこともある。汗を滝のように垂らした中年の男であった。


「口を慎め」


その男がその後にどうなったのか、玉兔は知らない。知ろうとも思わなかった。その頃は全ての人が自分の敵のように感じて憎んでいた。今、こうして玉兔は敵国で囚われの身となっているが、別の意味で彼女はとうの昔から窮屈な囚人であったのかもしれない。



伊士羅が寧を去ってから、日の巫女姫は手の付けられぬほどの癇癪持ちになってしまった。隷の無表情とはちがう、むすりとした顔は眉間の一本の線が立つほど。玉兔の機嫌が優れぬ度に、寧の宮殿が縮こまったものである。




「瑶凛(ようりん)姫?」


伊士羅が黙ったままの玉兔に再び諱で呼びかけた。


たった五年。たった―。


しかし、玉兔はもう自分が瑶凛ではない気がした。伊士羅(いしら)と無邪気に野を歩いたあの頃の自分ではない気がしたのである。


玉兔公主と呼ばれた月日は長いわけではない。しかし、もう彼女は自分でさえ諱(いみな)を憶えてもいなかった。



玉兔は右手で彼の体と自分のそれを引き離した。


「姫?」


真っ赤な木の葉が二人の間を分かつ。



「玉兔公主」


後ろから声がした。呂雲が蹄の音を立ててやってきたのである。数十人の兵士が二人を囲んだ。


「将軍がお呼びでございます」


きらりと光った槍の先が伊士羅に向けられた。


「分かったわ」


玉兔は後から連れてこられた雄元の青馬の背に乗った。


「伊士羅、お願いよ。私を名前で呼ばないで―」


「姫......」


「玉兔と呼んで」



玉兔は言いたことを胸にしまったまま、かつて馬を伊士羅に教えられた通りに操って駆け出したのだった。


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