落陽記

 

58


朝目覚めればそこは寧であると、何度玉兔は願って眠ったことだろうか。しかし、そんな期待は今朝も裏切られ、瞳に映ったのは紫檀で出来た寝台の天井であった。ただ、いつもと違うのは雄元の腕が体に巻き付いていたことぐらいである。


昨夜、もちろん雄元は巫女の決定的な純潔に触れることはなかった。先に玉兔が寝息を立て、雄元がいつ眠りについたのか定かではないが、日が高く上がっているところを見ると、彼は遅くまで眠れずにいたのかもしれない。


玉兔は彼の腕を解くと裸足を床につけた。


どこからともなく彩季(さいき)が現れて、玉兔を着替えさせ、将軍が持って来たであろう新しい菊の髪飾りを頭にさし、壁の首飾りを胸元につけた。


鏡の中の自分にはどこにも寧の巫女姫の影は微塵もなかった。あるのは、美しく着飾らされた陶雄元将軍の愛妾——。


玉兔は眉をひそめて鏡を向こうに寄せた。


そして窓を開けさせると、今日一日を占うために東の太陽を探した。


以前はまったく自らしようとしなかった日視の儀式であるが、彼女は日に向けて叩頭して祈りを捧げた。たとえ、どんな姿をしていようが、どこにいようが、自分は巫女であり、民の安寧を祈るのが務めであるのだと、玉兔は思った。


「もう、昼か......」


しかし、起きてきた雄元によってその神聖な時間はは妨げられてしまう。


「朝餉を運べ」


侍女にそう命じると雄元は半身着ているものを脱ぎさって、武人らしい体格を晒した。いくつかある傷のうちの一つは草原で伊士羅(いしら)によって付けられたもの。それはまだ新しく、痛々しいが、まるで武功の証のように雄元の躯に刻まれていた。


眩しくそれを見て、玉兔は視線を逸らした。


昨夜の雄元の息づかいを思い出したからであった。


重なった唇と、絡まった脚。人めいた行為。


雄元が結局のところ核心を得ようとしなかったのは、巫女であることを尊重したからか、その利用価値を捨てきれなかったのか、考えても玉兔には分からぬことであった。


少なくとも、ほんのひと時の間だけ、玉兔は巫女ではなく女であり、雄元は男だった。


しかしそんな夜も明け、日の光に照らされた雄元の躯を見れば、玉兔は天帝の怒りを恐れた。たとえ、巫女である事実を失わなくとも、人ではない自分を雄元が触れていいはずはないと思ったからである。



巫女姫は日の視線を恐れて、窓を閉めた。


「朝餉は取ったのか」


「まだ」


後ろを向きの玉兔の背を雄元はなぞった。


「案ずるな」


雄元がもう一つ脇の小窓も閉めた。そして彼女の首もとに顔をうずめた。


「案じなくていい」


「......」


玉兔も雄元も昨夜のなごりを思い出した。だが二人ともそれ以上どうすることもできない。玉兔が彼の腕を冷たく払うほかは......。


「支度が整いました」


香(こう)が時を計ったかのようにそう告げた。雄元は上着を彩季から受け取ると、席に付いた。


だが、箸をとるまえに、あたりが騒がしくなった。



「雄元さま」


一人の少女がそう言って部屋に案内もこわずに駆け入って来たからである。


「蓮杏(れんあん)さま......」


立ち上がった雄元に飛びついた少女を侍女たちが『公主、お待ちくださいませ』と追いかけてきた。


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