落陽記

 

54


「人とあまり喋るな。お前は寧の訛りがある」


絽陽の王宮の門扉を車が潜ると雄元は玉兔にそう注意を促した。


「失礼な。お前が訛っているのであって、私は訛ってなどいない」


「俺はただ少し興人らしくみえるようにしていろと言っている」


寧はこの中華でもっとも古い国であった。太古この大地を始めて治めたといわれる王朝の末裔であり、それが中原より追われ北西に小さな寧という国として残ったのである。寧の言葉は天と地二つに別れていなかった時代から話されていた正統な言葉。


そういう自負がある寧の最後の姫が、言葉を改めさせられるのである。玉兔は、まるで自分という存在がこの世からなくなってしまうような感覚に襲われた。


「そんなの無理だわ。私は私。興人こそ誤った言葉を改めるべきよ」


興の衣を着せて、興の貴族の娘のように着飾らせても、どうにも彼女の気高さは隠しようもなかった。だだ王宮内で煩わしい人の目を気にしているだけの雄元はむきになって反論する彼女にため息をついた。


「それに俺に対する言葉遣いもどうにかしろ。怪しまれる」


顔を背けた彼女の顔の代わりに耳の上に挿してあった翠玉の簪が雄元の瞳に映った。


「これは俺が預かっておく」


「返して」


雄元は寧の痕跡を取り除くと懐にしまうと、絽陽で流行の大振りの耳飾りをその耳につけた。興の宮廷には異国から質として贈られてきた美女は多い。そんな中に埋もれてしまっても、人の目を集めるであろうと、玉兔の不機嫌な横顔に彼は思った。


「二、三日のことだ。後宮にいる間だけは大人しくしていろ」


「...」


雄元は玉兔をここに連れてきたことを後悔し始めていた。かと言って絽陽に置いてくれば、現王の英の関心が玉兔に向くことも考えられる。英とは微妙な力関係を今のところ保っており、王に雄元は表面上だけでも恭順の意志を見せなければならない。


女を王に一人ぐらい奪われたからと言って、文句をいうのは陶雄元の立場にはなかったのである。


「たのむ、少し大人しくしていてくれ」


「...。分かったから離して」


仕方なしに下出に出て優しい言葉で玉兔を抱きしめた雄元に彼女は顔を合わすことはなかったが、興の言葉を真似て姫は答えた。それだけで、雄元は車内であるのも忘れて彼女の身体を押し倒した。


「離して」


「興の言葉で言え」


「...」


「言えと言っている」


「はなして」


少したどたどしく玉兔が言い直した。それが愛らしくて、雄元は彼女の首筋から胸元に唇を落とした。そしてそれが鎖骨の上の日の印に行き当たると、躯の衝動を止めなければと自制が湧いた。


「宮廷で誰にもこれを見られぬようにしろ」


「...」


老女の彩季は連れてきたが、どこに人の目があるか分からない。雄元はその印の上から唇の烙印を施した。


「痛い」


玉兔が顔を歪めて彼を突き飛ばそうとしたが、塞がれた手は将軍の固い腕の力を思い知らされただけで、虚しく従うほかなかった。


「一つだけでは怪しまれるかな」


もう一つ、彼女の胸の膨らみに唇を落とすと、白昼夢の中に突き落とされたような感覚に彼は襲われた。


「到着いたしました」


しかし、突然がたりと車が止まったことで雄元は現実に戻された。それはきっと天の裁量であろう。巫女には触れてはならぬのだと、言われたような気が雄元にはした。


「夜には迎えにいく」


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