落陽記

 

52

隷は人影のない地台の前に玉兔を連れてくると石段に彼女を座らせた。そして脇にあった小石をゆっくりと積み上げてみせた。高く積みあがったそれは、均等を保ち切れずに崩れ落ちた。それに小さな微笑みを隷はよせた。


「なぜ、それを私に言うの?」


「あなたもまたこの小石の一部だから」


「巻き込まれないようにって、さっきいったじゃない」


「......。きっとあなたが私は好きだから。だからそう言った。あなたは本当にこの夜空そのもの。運命を映す鏡。あなただけはきっと星の動きを変えることができるよ。それが九つの太陽。地に落とされた天帝の子」


「あなただって、あなただって九つの太陽だわ」


隷は首を振った。


「私は運命を変えることを望んでいない」


「......」


「運命はもう私が望むように動いている」


玉兔は隷を見た。いや、視たのかもしれない。寧の滅びもそして興王の病と死、そして西夷の脅威、飢饉。すべてがこの公子の望むままに進められていたように寧の公主の目には映った。


「私、明日雨乞いをするわ」


「なぜ?あなたの国を滅ぼしたこの国を救いたいのか」


「そうよ。私はあなたとは違う」


「......」


「私は滅びの後には何も残らないのを知っているの」


「終わりは始まりの過程だ」


「じゃあ、その始まりの先には何があるの」


隷は玉兔の言葉に答えなかった。代わりに玉兔の回りを囲っていた白虎と麒麟が耳をそば立てて当たりを見回した。


「誰か来たようだ」


隷は立ち上がり、玉兔に背を向けた。神獣たちは足音も立てずそれに従い暗闇に消えていく。ただ白虎の銀色の瞳だけが玉兔を一度振り返った。





「玉兔公主」


玉兔を捜して現れたのは陶羽であった。かんなぎしか許されていない区域に彼が足を踏み入れたことに彼女は驚いた。


「将軍がお呼びです」


「私はもう寝る。雄元にはそう言ってちょうだい」


事実彼女は疲れていた。


「公主」


玉兔は羽の剣を見た。一度も穢れたことのない剣であった。


「先ほどは失礼しました」


「......。ずいぶん態度が初めて会ったときと違うのね」


「将軍がお呼びです」


玉兔は同じことを繰り返す羽にため息をついた。喉元の金の首輪が秋の夜を含んでひんやりとした。


「明日、将軍は絽陽に向かわれます。公主にはご同行されたしとのことです」


明日は雨乞いをするつもりであった。隷がこの国を滅ぼして何を始めようとしているのかは知らないが、彼女は雨が欲しかった。髪を濡らす天の雫と、頬を切るような北の風。乾いた大地が雨を乞うている。純粋に巫女としてそんな地の願いを天に掲げるのが彼女の務めであった。


以前はそういうものを課せられた仕事と思い、自らしようなどと思ったことはない。だが、この国に来て彼女は変わりつつあるのかもしれない。


「月の力じゃきっとあまり降らないわ」


玉兔は地台に昇った。


——力が少ないのなら、せめて心を込めよう。


掌を胸の前に合わせ、そして美しい月影の力を借りて玉兔は舞いだした。脇にいた陶羽の剣をさっと抜き取ると、それを剣舞とした。月光が刃にあたり、彼女の頬は銀に光を集める―。


翻った大袖。切なげに傾むく柳眉。


ほんのりと空いた唇は今にも声がもれそうな、そんな女の顔を作っている。巫女と呼ぶにはあまりにも妖しげな表情。玉兔が空を切る剣は邪気を切っているようでもあり、何か見えない敵と戦っているようでもあった。


陶羽はそんな彼女を人を惑わすために天帝が遣わした乱世の女に違いないと思った。しかし、頭でそう警戒しつつ、異国の公主の舞の中に惹き込まれてゆくのを抗うことはできない。


いつの間にか、あたりは暗闇になり、月が雲に隠れたのだと陶羽が気付いた時には彼の肩を雨が濡らし始めた。雨の匂いがした。懐かしい香り。それでも公主は憑かれたように舞をやめなかった。濡れた髪が重たげに雫を落とし頬をつたう。泣いているようだと羽は思った。


たとえ天帝だろうが、彼女の今の姿を見れば、彼女が望むままに雨を下賜してくださるだろう。


だが、疲れた玉兔にはそれ以上舞うことは出来なかった。倒れた彼女を陶羽は慌てて抱き起こすと、その身体を持て余した。


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