落陽記

 

51


「隷...」


「...。心配していた」


息が切れるまで走った玉兔を迎えたのは、隷であった。玉兔が道々触れた石の珍獣たちが息を吹き返してその足下に従っていた。白虎が彼女がそっと近づくと、その喉を子猫のようにならして脚にすり寄った。


「王に会ったのか」


「ええ...」


「恐れることはない。公主にはあの人の運命は関係のないことなのだから」


「ここに来て未だに明るい未来を持つ人に会ったことはないかもしれない」


「...。未来などというものは不確かなものだ。我々が視るのは、現在が作り上げた影に過ぎない。そもそも『運命なんて信じない』と言ったのはあなただ」


隷はそう言いながら白虎の背に触れた。


「そうね。そうだったわね。でもときどき鮮やか過ぎる感覚が暗い未来ばかりを信じさせようとするのよ」


「そう、そういうときもある」


隷の背に月が落ちてきた。そして顔に陰が差した。垂らしたままの白髪がそんな彼を隠していた。


「しかし...、王は死ぬ」


「...、どうして?雄元が殺すの?」


「さあ。それは分からない。でも空を望んでごらん。王の星がない。天命のないものは王位についてはならないのだよ」


玉兔は星視には詳しくなかった。だが言われるままに空を見上げた。流星が一筋の線を作って空を二つに割って行った。英は憎むべき興王である。だが、彼の中に漂う運命の儚さは。どこか父、寧公を思い出させた。


最期まで公として傲慢で、そして誇り高く、愚かであった父。百官が口を揃えて言ったように、寧が興に言われるままに土地を割譲していれば、あそこまでの虐殺は、宮殿で行われなかったかもしれない。


だが、彼は燃え上がる宮殿の灰とともに九天に昇るのを夢みた。おびただしい殉死の官と女らを引き連れて―。


その死に方は無惨であった。しかし、興王の靴を舐めて生きながらえるよりは、あの人には幸せであったのだろうと、玉兔は見上げる空に父の星もまたもう見当たらないことに気付く。


「星の動きが早い」


「そう」


「飲み込まれないようにすることだね」


「もう飲み込まれてしまっているわ」


隷は何も言わなかった。



「私、明日雨乞いをしようと思っているの」


「...なぜ?」


「雨が降ったらいいと思わない?」


玉兔はまるで花を摘みに野原に出かけるような口ぶりであった。彼女は雨が恋しかっただけであるから、そういう軽い口ぶりで言った。だが、隷はそんな公主を瞳で咎めた。


「いけないの?」


「...。災いは起きるべきして起きている。興が滅びれば自然と雨は降る。あなたが乞わなくても自然とね」


耳元で囁かれた言葉。玉兔の背中に悪寒が走った。


「隷、あなた...」


「災いとはそういうものだ。民を虐げ、そして地を血で染めたこの国には自然と落ちてくる」


「でも、それで苦しむのは民じゃない」


「民にも罪がある。だまって虐げられているだけが民ではない。憤るべきだ。搾取し、そして働き手を徴兵する国に対して、隷属するのはそれを肯定しているのと同じ。時として弱さや愚かさも罪なのだよ」


『この人はこの国が滅びることを望んでいる』と、玉兔は気付くと足がすくんだ。興国の公子にしてこの国の祭礼を司る巫祝の人が滅びを望んでいいものであろうか。


「あなたはそれをずっと願って来たの?」


「ああ。ずっと天に願ってきた。朝と夕と天台に上って、毎日願っていたよ」


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