落陽記

 

50

「使者にお会いになるか、この姫に決めさせたらいかがでございましょう」


李敬健の進言に雄元は瞳を鋭くさせた。玉兔が九つの太陽の巫女であることは王に知られてはならなかった。


「私の右手と左手、どちらかに玉があります。玉がある方を公主が選べば、お会いになる。ない方を選べば、私が王の代わりに使者を絽陽でもてなしましょう」


玉兔は雄元の顔を見上げた。だが、怒ったような雄元の瞳はそのまま真っ直ぐに李敬健を映していた。


「敬健、馬鹿も休み休み言え。陛下、使者には私が会いましょう。ちょうど絽陽に向かうつもりでおりました」


「そうか、よしなに」


王は雄元の言葉を退けなかった。英は性格的に陶将軍の進言に反対意見を述べるような男でもなければ、それだけの権限もなかった。保身だと、彼は秘かにそんな己を笑ったが、西夷の使者にどうしても自ら会ってみたいとも思わない。この離宮に来てから『よしなに』が口癖になっていた。


李敬健が跪いた。


雄元が拝手し、外に控えていた陶羽が王を護衛するために現れた。たが寧の姫だけは、彼に鋭い視線を投げかけたと思うと、見つめ返した英を無視して窓の外の月を見上げた。誰にも跪かないのだという強い意思がそこにあった。英はそんな彼女に惹かれた。


王でありながら飾り物の自分。


囚われの身でありながら、気高い少女。あまりに対照的ではないかと英は思った。美しい黒髪が細い腰に揺れている。


「借りてゆこう」


そう言ったのはなぜであろうか。


もしかしたら小さな雄元への反抗であったかもしれない。陶羽が困惑の視線を将軍に向けたが、興国の影の君主は顔色を変えなかった。陶羽は玉兔の腕を掴んだ。


「はなして」


抗う姫の姿に英は苦笑を浮かべた。


「公主。秋の月は美しい。寧の話を聞かせてくれませんか」


「...」


「心配することなはいよ。将軍、月が西に傾くまでに返そう」


陶羽は再び将軍を見た。が、拝手した手をしっかりと胸の前に合わせたまま、先ほどから微動だにしなかった。暗黙の了解であると解した陶羽は、部屋から出て行く王に続いて玉兔を引きずった。


「自分で歩けるわ!」


「...」


月の光はさやかである。それは日の光ほど強くはないが、やわらかな力を彼女に与えてくれていた。陶羽の腕を振りほどくと、黙って王の後を彼女は歩いた。時折、石で出来た珍獣たちの横を通る時だけ、そっとその足に触れる。それは呪を解いているように陶羽には見えた。



「公主はこの離宮が気に入ったかな?」


「あなたは気に入っていないみたいね」


王の問いに玉兔はそう答えた。若き新王は微笑みを浮かべた。玉兔の口から雄元に自分がここを嫌っているとしれることはあってはならない。


「そんなことはない。ここは美しい宮殿だ」


「嘘はつかない方がいいわ。私には分かるもの。ここの空気はあなたに合っていない」


「...」


英は一歩玉兔に近づき、月を見た。明る過ぎると思った。


「私はここでの生活が気にっている。あなたはどうなのだ。ここの空気はあなたに合っているのか」


「私には寧の宮殿以外の空気は合わないわ」


「もう、燃えてしまって跡形もないそうだね」


英は玉兔の手を引いた。生暖かな手であると玉兔は思った。そしてその手の中にある何かに彼女は震えた。


「どうしたのか」


「...」


「何を恐れる?」


慌てて玉兔は袖の中に手を隠した。


英の持つ星の影が心に潜り込んできたような恐れが彼女に襲った。英は彼女が巫女であることを知らないために首を捻った。そしてそのまま走り去る玉兔を理解出来ずに目で追うのだった。陶羽がそれを捕まえようとしたのを制して、王は雄元の女などに興味を持った自分を鼻で笑い、少しばかり残った自尊心を黄金に飾られた部屋にうずめた。


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