落陽記
落陽記
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「陛下がお見えでございます」
「王が?」
「はい。李敬健さまとご一緒でございます」
たとえ、ここが今や事実上雄元の采配によって成り立っている国といえども、興国王、英(えい)が自らが将軍を訪れることは稀である。普段は、飾り立てられた黄金の王の椅子に座り、龍と鳳凰の飾りに囲まれて過ごしている。それが今ここに来るという。敬健(けいけん)が呼んだにしろ、一大事が起きているということが雄元には分かった。
何よりも第一に報告を受けるべく自分の耳にもたらせられず、王より後にそれを聴かなければならないことに、雄元は歯ぎしりをした。だが、王が姿を現すと、そんなそぶりも見せずに、にこりと微笑み、そして跪いた。
「お呼び立てくださいませば、臣が参りましたものを」
「かまわないよ」
若き新王は、上座を占めると、敬健の方を見た。
「絽陽から使いが参りました」
「知っている。悪い知らせだろう」
「どうしてご存知なのです?」
「どうしてでも、知っている。何が起きたかは知らないが」
李敬健は一瞬、間を作った。そして『まだ王にもお伝えはしていないのでございますが』と前置きしてから、『西夷でございます』と低い声で言った。
「西夷がどうしたというのだ。攻めて来たのか」
「そうではございません、将軍。西夷の王が使者を差し向けてきたのです。ただいま絽陽の城外に留まっておりまして、いかがしたものかと...」
「で?誰が正使として来ているのか」
「それが...、西夷王、第十二王子、伊士羅(いしら)」
寧から絽陽に向かう途中に雄元を襲った西夷の男である。
「表向きは、興国王のご即位を祝うのが目的だと申しておりますが、本音としましては、今の興の状況を見にきたのでしょう」
「面倒だな」
「王へ拝謁を願っております」
「朕の器量も見にきたというところか」
王は愉快そうに雄元を見た。さすがの雄元もそれに対して、畏れ多いことだと頭を下げてみせた。
そして伏せた視線とともに、雄元はあの伊士羅という男ことを思い出してみた。乗馬の技術は西夷の人として当然だが、武にすぐれ、勇敢でもあった。あの男が正式な使者として西夷から遣わされてきたのは納得な人事であるが、興にとっては危険なことに違いなかった。
何しろ、草原で雄元たちを追うこともできたが、深追いせずに引いたその判断力を侮ることはできない。剣を合わせたことがあるだけに、雄元は伊士羅に警戒した。
「会うべきか...」
「離宮は神域でございます。西夷を寄せ付けていいはずはございません」
王の呟きに敬健は彼らしい正統な反対理由を述べた。
今の興国は非常に不安定である。西夷に攻められれば、軍を西に差し向けなければならず、絽陽の警備が疎かになる。外敵以上に内々にもめ事を抱えている現在、雄元としては西夷と問題を起こしたくはなかった。
黙ったまま考え込んだ雄元。
ただ、将軍さえも忘れていた人物が、
「侍女を呼んでちょうだい」と瞼を擦りながら続き間の戸を開けたことで状況は一変した。
「これはこれは...」
王は見てはならぬものを見たように一瞬たじろいだが、玉兔が雄元の他に二人もそこに男がいたことに気付いて戸に隠れたので、『こちらにおいで』と声をかけた。
「髪が乱れているから」
「かまわないよ」
「...」
王はいたずらな視線を雄元に向けた。愛姫を彼がそばにおいているなどというのはかつてなかった。だから少しからかってやろうというそういう視線なのである。
「玉兔、王であらせられるぞ」
雄元は自室の奥から女が出てきたとあっては、ばつの悪い思いだった。だが、玉兔の王に対する振る舞いを正さねばならなかった。将軍の強い語気に玉兔は少し戸から姿を表した。
「寧の姫君だね」
「...」
拝跪も拝手もせずに玉兔はただ王を見ていた。雄元が慌てて跪かせようとしたが、その手を彼女は激しく払いのけた。雄元はそれを玉兔の保身のために強要したのだが、玉兔も彼に恥をかかせるために払いのけたのではなかった。だた寧の公主としての誇りが死者である父に代わって跪くのを拒んだのである。
「かまわないよ」
王は少女の美しさを讃え、興で不都合なことはないかを訊ねた。しかし、玉兔は反抗的な瞳を宿したまま唇を動かすことはなかった。
「こういう女を寝所で従わせるのはさぞや楽しいことだろうね」
本気とも嫌味ともつかぬ王の言葉が雄元に向けられた。
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