落陽記
落陽記
39
「一体、これはどういうことなのでございますか?!」
血気盛んな若者とはこういう男をいうのだろうと、雄元は玉兔の他にもう一人やっかいな人間がここに現れたことにため息が出た。『だからこの男に何も言いたくなかったのだ』と、彼は筆を置いた。
「このような暴挙は許されるべきものではございません」
「どうしてここに来たのだ」
「蘇学から聞いたのです。それで馬を一頭潰して徹夜で駆けてきたのです」
雄元は『蘇学めが』と内心舌打ちしたが、来てしまったものは仕方がない。掛けろと椅子を顎で差し示した。
「知っての通り、今回のことは王に諌言申し上げるのが目的である。王に還御頂き、長きに渡る王不在の絽陽の政を本来あるべき姿に戻すのが臣としてのつとめであるのだ」
「そのようなことは詭弁にすぎません。王に刃を向けるなどとは、謀反ではございませんか。現に近衛や離宮の警備の兵を殺しているのですよ」
「...」
「将軍!なんとかおっしゃっください」
雄元は誰かにこの従弟にも猿轡をしてしまえと命じたかった。彼はこの従弟が好きであった。純粋で、そして優しい。しかし、さすがにまだ子供。青臭い理想を掲げて目上の雄元に食って掛かるなど無礼にもほどがある。
「黙れ。お前に何が分かるというのだ。俺の不忠を責める前に、国境の西夷討伐の軍をあずかりながら、それを放棄してここにのこのこ来るような将である己をまず恥じよ」
陶羽は唇を噛んだ。
赤く浮き出た血が、彼の中に流れる熱い思いを言葉の代わりに雄元に突き出した。
「しばらく謹慎していろ」
「...。あなたの指図は受けません。私は王の臣なのです」
「...」
にらみ合う瞳。だが、雄元のそれは一歩たりとも退くことはなかったのに対して、若き陶羽は沈黙の底に迷いを表し、瞳をそらした。そしてその先に猿轡をした少女がうずくまっているいるのを見つけると、雄元に対して一層嫌悪を抱いたのだった。
異国風の衣に白い肌。黒い髪。あきらかに高貴な生まれの少女。
陶羽もすでに成人した男である。戦場において、女がいかなる運命をたどるかぐらい知っていた。しかしそれを目の当たりにして許せるほど彼は世の中の醜さを見てきたわけではない。
雄元が弄ぶためにこの少女は捕らえているのだと思った彼は、玉兔に近づくと、その口にはめられた猿轡を解いた。
「来い」
「...」
玉兔は正直困惑した。雄元に助けを求める視線をやったが、それは雄元の羽に対する怒りによって無視された。
彼女は腕を掴んで部屋を出て行く若者の手を振り払おうと試みたが、それはまるで鋼のように彼女手首に食い込んで放してはくれなかった。
「ちょっと」
「...」
「はなして」
「...」
「はなしてと言っているのよっ!」
中庭まで引きずられると、玉兔はようやくそう叫んだ。太陽が日差しを落としていた。
玉兔は自由な右手を振り上げると、陶羽の頬を強かに打った。
「なっ!」
生まれて初めて女に打たれ、羽は言葉を失った。それも自分が助けてやった女に。
「お前、無礼だわ」
「...」
大きな瞳が瞬きした陶羽の顔を映し、その瑞々しい深い黒い色に彼は一瞬吸い込まれた。もしかしたらそれは暗い室内から急に明るい空の下に出たせいかもしれない。あるいは、寝ずに馬を駆けさせてここに来たせいかもしれない。
ただ地が天であるようなそんな感覚に襲われたのは事実であった。
「お前は無礼だわ」
玉兔が羽にもう一度言った。