落陽記

 


31

九月も半ば。


雄元は特に何も動かなかった。


離宮もろとも乗っ取る計画は、ほとんど李敬健(りけいけん)が裏で工作していたからでもあるが、陶家の家長であり、将軍である彼があまり大きな動きをして華応安(かおうあん)たちから不信の目を向けられないためでもあった。


『放蕩にふけって敵の目を欺いてほしい』と、李敬健から頼まれていたが、常に鞍に跨がっていた武人である。七日もすれば、美女の舞にも美酒にも飽きた。


弓やら剣やら手にとって、自邸で稽古を付けては汗を流す。


剣は錆びぬように使うのが良いというのが彼の持論であり、躯もまた武器の一つであるから、この方が自分の性格にあった『放蕩』であると雄元は思う。


出来ることなら、狩りにでも出かけたいところだが、将軍の狩りともなれば、大掛かりになり、逆に警戒を呼ぶ。時には、こうして初心に戻った躯の動かし方も良いかもしれない。




陶羽がやってきたのはそんな『放蕩』を繰り返していた朝。雄元が一休みをしようかと剣を下ろしかけた所に、若き従弟がにこやかに現れた。


国境へとゆく正式な挨拶に来たので、凛々しく袍をまとっていたのだが、雄元の姿を見ると


「陶将軍、私にも一つ、お願いできますでしょうか」と手合わせをこうた。


それに雄元も「ああ、いい所に来た」と破顔して剣を投げて答えた。


陶羽(とうう)は晴れ晴れとした面構えで、袍を脱ぎさると、剣を構える。そういう若人の顔を雄元は何やら羨ましく思う。


それは雄元のように幼い頃から早熟を強いられなかったために、ねじ曲らずに育ったせいなのだろう。貴族の子息で、特に家族にも可愛がられていたわりに、この青年には驕ったところもなく、長者を敬い、弱者に優しい。


青竹のようだと雄元は思った。


「いくぞ」


「はい」


剣を合わせても、そんな性格は現れている。


決して姑息な手は使わずに、真正面から攻めてくる。だが、陶羽の良さは、戦地に置いては、弱点になる。


だから雄元はこの若き従弟に今回の計画を告げる気にはならなかった。副官の蘇学のみに計画を告げ、羽は純真に国境警備の指揮を任されたと信じていた。


十代の多感な年頃に、離宮を攻めて王の権力をはぐなどと言っても、学者が口がすっぱくなるほど、幼いころから教えられてきた孝や忠の心に反するものだと、机上の正義を持ち出すに決まっているのである。


雄元とは五つ六つしか年は違わないが、やはり政の汚さを知るには、この紅顔の青年には早いように思う。


「剣とは力の問題ではない」


刃が合わさり合い、少しばかり長身の羽にじりじりと押され気味に見えた雄元が、余裕の笑みを口先に浮かべたのは、実戦を積んできた将軍として、羽の未熟な部分を十分に理解していたからであった。


羽の剣の腕前は良い。


風を切るように剣をさばき、確実に狙った高度な技術で、雄元を衝い来る。


体を反転させて受けた雄元の剣の音が高く響いた。手首にまで振動が届く。音の高さがその切れ味の鋭さを物語っていた。


「あっ」


攻撃を続けていた羽の体勢が崩れた。雄元が脚を払ったのであった。思いがけない反撃から羽が体を正常に戻した時には、雄元の剣が首筋に当てられていた。



「上手くなったな」


「ですが将軍にはまだまだ敵わないようです」


負けてもまた、陶羽は爽やかである。


「戦では、死ぬか生きるかだ。あまり潔癖に剣を持つ必要もない。お前は型通り過ぎる。虚をついて、敵に動きを読まれないようにしてほうがいい」


「肝に命じます」


雄元は汗を拭った。そして煌めく従弟の汗を見て、自分が失ってしまった何かを感じて一抹の寂しさがよぎった。


「初めての指揮だ。蘇学の補佐をよく聞いて欲しい。あれは口うるさいが、いい男だ」


「蘇学を師と仰ぐ気持ちで挑む所存でおります」


完璧な受け答え。


とても玉兔と同世代であるようには見えない。百分の一でも陶羽の爪の垢を煎じてあのわがまま姫にくれてやりたいものだと雄元は思った。


「帰京したら離宮に連れて行こう。王に拝謁できるように整えておく」


青年の顔が輝いた。


離宮に上がれるのは限られた人間だけである。その名誉に預かれるのは、王から直接召された者とされていた。若い陶羽が喜ぶのも無理もない。


だが、帰京した彼が離宮に召されるのは、武功ではなく、離宮乗っ取りの成功を意味する。それを知っている雄元の瞳には影がさした。


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