落陽記

 

3章


29


暑さ残る九月。


南西の飢饉が広がり、民の起こした反乱に耐えきれなかった県令が西夷に降ったと知らせがあった。


雄元はそれを聞いて歯ぎしりをした。


飢饉に対する援助も、反乱に対する援軍も出せなかったのは、かねてからの太子擁立争いで中央が機能しきれていないからである。公にはされていないが、公子英の六つになる息子が、志旦派に毒殺され、大叔父にあたる陶丞相も秘かに喪に服していた。



「王は公子隷に操られている。なんとしても王には還御いただかねば」


と、李敬健を伴い陶勝林(とうしょうりん)丞相のもとを訪れた雄元は主張したが、それに叔父は眉を少し動かしただけであった。


「王が金烏公子の神託を頼られるのは今始まったことではない。そのうちお帰りくださる」


「金烏公子を絽陽に移せば、王も帰る気を起こしてくれるでしょう」


「......」


「叔父上、ここは金烏公子を懐柔するのが得策ではありませんか」


陶丞相は指先で机を数回叩いた。考え、そして迷っているのであった。


「いや。それが出来るなら既に華応安がやっておる」


「どうして出来ないとおっしゃるのです」


「......。先王の御遺戒で、子隷さまは金烏宮から出てはならぬことになっている」


「このままでは英さまも殺され、民は飢え、西方は西夷に盗られます。困るのは丞相であられる叔父上ではありませんか」


陶丞相は黙った。


雄元も押すのをやめた。


ただ下座でそれまで二人のやりとりを聞いていただけだった李敬健が『おそれながら』と断って顔を上げた。


「噂で金烏公子の霊力が強すぎるために、先王は離宮に公子を幽閉されたと聞いております。金烏公子を離宮から出すことは出来ず、王は絽陽にお帰りにならない。よって玉璽は離宮から動かず、詔をもって蛮族を誅することもできない」


「何が言いたい?」


「ならば、離宮を王宮となさればよいのです」


「......」


「兵をもって離宮を囲み、英さまには金烏宮にお暮らしいただく」


雄元は『不敬である』と思った。


武で王と隷を脅し、公子英を太子の座につけ、聖域である離宮を乗っ取って中央を絽陽から移すということは、謀反と同じである。そのようなことは離宮の神聖さも王への忠信も少ない異国人の李敬健だからこそ思いつく。


「謀反であると言われてもおかしくないぞ、敬健」


「承知しております。ですが、王命と玉璽があるものが結局の所、正義なのです」


「正義か......」


雄元は密謀に息苦しくなり、戸を開けた。風が通った。生暖かい。


「兵はいくらいるのだ」


「沢山はいりません。離宮の回りはたかがか千ほどしかおりませんので」


「うむ」


「舟は必要でしょう」


雄元の頭の中には、離宮の回りの地形とともに配陣の鮮やかに浮かんだ。出来れば同国人同士の流血は避けたい。李敬健は少なくてもよいと言うが、数の面での圧倒的な優位が必要である。


理想的な兵は『一万』と彼は見た。


だが、動きやすく、そして後々に王に兵を向けたと後ろ指を刺されるような大掛かりなものであるのは好ましくない。


「五千」


と先に言ったのは陶丞相だった。


それぐらいの数字ならば、『西夷の侵略のため、離宮の警護を強化する』と建前が使うことができる。


「国境警備のためと言ってわたくしにも兵をお与えください。決行の数日まえに、絽陽を立ち、何かありましても、北から攻めることができます」


二人の男は若い軍師の奇策に黙ったままだった。


「失敗すれば、どうなるのか分かっておろうな」


叔父の低い声が、鋭い光となって雄元に向けられた。


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