落陽記
落陽記
28
「玉兔公主は運命を信じるか?」
そう訊ねたのは、隷である。
天壇にいこうと玉兔を誘って、隷は雄元が絽陽に帰っていく様を飽きずに見送っていた。舟で湖をゆき、岸で馬に乗り換えた人がだんだんと小さくなってゆくのを二人は会話らしい会話もなくただ見つめていた。
「運命?私は信じない」
きっぱりとそう言ったのはどうしてか。
運命を見極めるのが仕事の彼女ゆえの天に対する反抗なのかもしれない。
隷の肩をかりて高欄の上に立ってみせると、寧の公主は笑ってみせた。彼女の抱える運命も天意もすべて、玉兔が今、望んでここから飛び降りれば、それで終わりである。
「鳳が現れた日、私は空を飛びたいって思ったの」
「......」
「飛んで、寧の国に帰りたいって思ったの」
「......」
「私は飛べるかしら?ここから飛び降りたら―」
羽を羽ばたくように両手を玉兔は広げた。『生きているのがたいくつなの』と玉兔は言った。隷はそれにただ苦笑し、高欄の上を歩く危うげな足下の姫を抱き下ろした。
「隷、あなたも飛びたいって思うことはない?」
「そうだね......」
「帰りたいんでしょう?絽陽に」
隷はそれに何も答えなかった。その代わりにまだ微かに見える絽陽へ帰る人の影に見やった。
「私は寧に帰りたい」
「寧はもうない」
「それでも寧の土を踏んでみたい。寧の匂いを嗅ぎたい。寧の花を見たい」
「......」
「あなたの望みは何?」
「私はあなたとは違うよ、公主。私は興国の人間だ。ここが私の故郷」
「違う。私には分かる。あなたは何かを強く望んでいる」
「......」
玉兔は日を袖で梳かしして視ようとした。だが、それは隷に妨げられた。唇が重なった。激しい接吻。感情のない面の奥底にしまい込んだ思いが逆流してきたかのようなかなしい口付けであった。
「私の心を覘こうするのはやめてほしい」
唇が離れたとたん、隷はいつもの冷たい顔に戻っていた。玉兔は『そんなことを言っても私には隠しきれないわ』と眉を吊り上げたが、言葉は出なかった。背を向けた隷に孤独を感じたからである。玉兔はそっと右手を背中に置いた。
「公主、あなたは私の運命において凶なるものなのだよ」
「私が?」
「そう。そう卜占に出た」
「それをあなたは信じているの?」
「さあ、どうだろう?」
振り向いた隷の顔は影に隠されて見えなかった。見えたとしても玉兔にはその心を読むことはできなかったであろう。隷とはそういう巫祝の人である。
「私は運命なんて信じないから」
玉兔は子供のように足を踏んで叫んだ。
高い声が天壇の天井に吸い込まれていく。その黄色い声色は、すべてを切り裂く韻を持っていたが、どこかはかなさも含まれていた。そして二人の間に空白だけが残った。