落陽記
落陽記
24
隷はさっそく興王に鳳の出現を告げた。
またとない瑞兆に王は、『自分自身が聖人君主であると天が認めたのだ』喜色を表し、『鳳を呼んだ』玉兔にも多くの絹や宝石が下賜された。
だが、囚われの寧国の姫君はそれを見ても『誰も見てくれる人もないのに、こんなに飾り立てても面白くもない』と無造作に投げ捨てて、頬杖をついては憂愁にくれた。そして鏡の向こうに映る浮き雲を見てはため息をつく。
何しろ赤い気が立ちこめているということは、国が乱れ、戦乱となることを意味する。紫雲や鳳の理由は、新しい王の誕生がその戦乱から生み出されること暗示するのかもしれない。
「もう戦はいやなのに」
小さな唇から思いがため息とともに出るのは、寧の滅びを見たからである。
興がどうなろうと玉兔には関係ない。だが、泣き叫ぶ人々の声や、流れる血、そして燃え上がる炎の柱は、叶うことならばもう二度と彼女は見たくはなかった。俯き加減で、彼女の長いまつ毛に影が出来た。
「ずいぶんと退屈そうだな」
低い声であった。隷ではない。喉の奥から出るような声でありながら、どこか明るさを含んだ爽やかな声。
「雄元」
首だけを回して戸口に向けて、玉兔がその姿を見た時、思わず彼女はついていた肘を机から離してしまったほど驚いた。
「なんだ、そんなに恋しく俺のことを思っていてくれたのか」
この離宮が持つ陰の気をさらりと消してしまう雄元の微笑み。
彼が彼女をここに残してから既に半月が経っている。その間、人間らしい会話をする相手もこんな風に笑いかける者もここにはいなかった。玉兔が嬉しくないはずはない。だが、彼女の彼女らしさというものが邪魔をして、雄元の言葉に居住まいを正すと『誰がっ』と鼻端をつんと上げた。髪の間からのぞく耳だけが素直に紅く染まっていた。
「もう少し素直になれ」
「ふん」
「少しはましな手になったな」
雄元は、そう言いながら玉兔の手を取った。傷だらけだった掌は癒え、本来そうあるべき姿となって白いふくよかな肉付きとなっている。しかし、玉兔は未だ自分の手を美しいとは思っておらず、慌ててそれを袖の中に隠した。
「気安く私に触らないで」
「......。そんな可愛くない態度だと頼まれたものをやらぬぞ」
雄元はにやりと笑って、抱えていた木箱を出して見せた。
「忘れていなかったのね」
「ああ。侍女も連れて来た。面倒を見てやってくれ」
絽陽で湯の世話をした年寄りが膝を曲げて挨拶を始めたが、玉兔は木箱の方に気持ちがいき、雄元からそれを取り上げると、箱を開けてみた。
「きれい」
金と玉で出来た指甲套*であった。根元が金で、花を彫った玉が鋭く伸びる。さすがは、象牙の箸を使う陶家。王の下賜品と比べても見劣りしない細工の出来ぶりである。
指甲套:つけ爪
「気に入ったならいい。花は寧の草花を掘らせた」
「......」
雄元は玉兔の左手の人差し指にそっと指甲套をはめた。冷たい男の手。彼女の指先が心を映して小さく震えた。
「何しに来たの?」
「何しに来たのはないではないか。お前に会いに来てやったのに」
「うそ」
「王が鳳を天から呼び寄せたと絽陽の都では大騒ぎだ」
「そう......。絽陽の様子はどう?」
「相変わらずだ。賑やかで、そして美しい。鳳が出現したとなればそれこそお祭り騒ぎさ」
「......」
玉兔は押し黙った。
赤い気のことも紫雲のことも口にするのを憚られる。
不吉を告げたかんなぎの末路がどのようであるかなどは、彼女は嫌というほど寧国でも見て来た。ある者は国を追われ、ある者はくびり殺された。凶を言葉にされることを、運命を視えぬ為政者は一番嫌うのである。
それは、寧の滅びを玉兔は予言できなかった理由でもあった。
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