落陽記

 

17


「それより今は太子を決めよと言いたのだろう」


『だが』と王は付け加えた。


続きを聞かずとも、雄元には王の言いたい事は分かった。陶妃の産んだ公子英は身内である雄元から見ても凡庸な男であった。人と争うことを好まず、学が出来るわけでも、武に通じているわけでもない。


そんな男を太子にするよりは、未だ若くとも、公子志旦は英邁であり、王の気質を生き写したような人物。


ただ、長子を差し置いて末子がとなれば、他の公子たちも黙ってはいないはずであり、王の寵愛を頼みにした立太子は危険であるというのが、私欲を外しての雄元の意見であった。


「恐れながら」


「そなたの言いたい事は分かっている」


王の続けようとした言葉を遮った雄元に、王もまた言葉をつがせなかった。


『王はここで志旦さまに神託がくだるのを待っていられるのだ』


たが、隷も愚かではない。


神託が出ないのか、それとも隷が出さないのかは分からないが、どちらの公子に卦を下したとしても、王に恨まれるか、あるいは陶家に恨まれることを十分承知しているのであろう。


玉兔にそのあたりの機転が利くかは怪しかった。


「宛を攻めるのはもう少し待とう。飢饉に備えよと丞相に伝えよ」


「御意」


王は若き将軍との会話に疲れたように眉間に指を置いた。


「年には敵わぬな。あと五十若ければ、寧の公主の生気を吸って生きながらえようとも思うたかもしれぬのに」


『下がれ』と言外に王は言った。下賜された剣を頭上に掲げて雄元は、室外へと出た。それと同時に、激しい咳が聞こえた。彼は王の最期の望みであるかもしれぬ、宛への出兵を断ったことを心の隅で悔いた。



「将軍、絽陽にお帰りになるのか」


「はい。日が落ちる前に」


「王の兵を借りて帰るといい。夜になると山賊が出るらしい」


「山賊、でございますか?」


隷は雄元に優雅な微笑みを唇にだけ浮かべて見せた。王直轄の離宮の辺りに賊が出るわけがなかった。考えられるなら、公子志旦周辺の者が自分の命を狙っているに違いない。


「それはそういう卦が臣に出ているということしょうか」


「そうかもしれないね」


王が妬ましいと言う若さとはこの囚われの身の公子の持つそれではなかろうかと雄元は思った。艶やかな膚は女のそれと見誤るほどである。感情に乏しいかんなぎらしい顔は、もし絽陽などに暮らしていれば、宮女が美しさに正気を失いかねない。


「寧の公主のことどうぞよろしくお願いいたします」


「ああ、もちろんだ。それにしても、よく見つけて来てくれた。あんなに若くそれも女の太陽を見たのは初めてのことだよ」


「金烏公子。やはり女は珍しいのでしょうか」


「少なくとも私は初めて見たし、書物などでもそういう記載はない」


「さようでございますか」


地上に九人落とされたする天帝の子。一国に一人出るのも百年に一度とも言われるほど珍しいこと。


「王のご威徳の賜物でしょう」


雄元は隷に拝手した。


隷は金の足枷を鳴らしてそれに答えると、背を向け、沈み始めた西日に影を引きずった。


出来る事であるなら雄元は、玉兔にもう一度会っていきたいと思ったが、そんな自分を笑った。質とした異国の貴人は多いが、未だかつてここまで、気まぐれに興味を持った人間はいなかった。


『やはりただの女にしておくべきだったのかもしれない』


神秘を失った玉兔が、ただの女として自邸の奥深くに住まうことを男として想像するのは悪くない。神の意を視えなくなった女なら、少しは鼻っ柱も強くはなくなるだろうなどと思って、一人笑う。


だが、そんな空想も、彼女が『李敬健は殺されるわ。たとえお前だって防げない』と言ったことを思い出して現実に引き戻された。


陶家の屋敷から一歩も出ずにいてくれれば良いが、公子志旦のこともある。囚われ人でしかない隷には無断で動かせる人などないはずであるが、つかみ所のないかんなぎのことだ。どのような力を使ってくるのか、武人である雄元には分からなかった。


「絽陽に帰る。腕の良い者を三十人ほど借りたい」


近衛の一人に声をかけ、雄元は手綱をとると李敬健の待つ絽陽へと急いだ。

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