落陽記
落陽記
16
神事が目の前で行われているのである。
『巫女の舞』だと雄元は思ったが、そもそも彼女を巫女と呼んでいいのかは分からなかった。九つの太陽と言われる玉兔は天から射落とされた者。天の舞と呼ぶべきか―。
背後で衣擦れがした。
王であった。
宦官が両脇を抱えていたのを払い、王はその場に跪いた。雄元も慌ててそれにならう。一人、王の後ろにいた公子隷のみが立ったまま玉兔の舞を見つめていた。どちらも陶器のように白い顔である。
頭を下げ、玉兔の刻む足の音だけを聞きながら、雄元は玉兔を盗み見て思った。王さえも跪く彼女の舞。人間としての好奇心であり、また神のたぐいを信じぬ彼らしい欲求でもある。
視線だけを少し持ち上げて、雄元は玉兔を見た。一瞬だけ、瞳は玉兔のそれとが合わさったように思ったが、その視線は雲が掛かったように色を失っており、かなた遠く瞳孔の奥底を視ていた。
「お尋ねいたします」
王は白い髭を垂れたまま、に拝手して神意を問うた。舞がそれに答えて止まり、雄元らの前にこの異国の舞い姫は立った。
「興は宛国を攻めるべきでしょうか」
「吉」
「西夷を討伐すべきしょうか」
「凶」
「王の座を長子に譲るべきでしょうか、それとも末子に譲るべきでしょうか」
その問いに玉兔は答えなかった。代わりに公子隷が彼女に近づき、左手をその額にかざした。雄元が施した月の花鈿が消され、『公主は疲れているのです』と王に告げた。そして軽々と、彼女の細い身体を抱き上げた。玉兔は気を失っているようであった。
「休ませてまいりましょう」
王は明らかな落胆の色を顔に表した。
玉兔に神意を訊ねたということは、つまり隷はまだ嫡嗣を誰にすべきか占っていないということである。
長子の公子英(えい)は雄元の甥にあたり、陶家としては彼を太子にと願っているので、雄元は末子の公子志旦(したん)に神託が出なかった事に胸を撫で下ろした。
宦官の手を借りながら立ち上がった王がそんな雄元に思い出したように声をかけた。
「近う」
黄金の玉座に身を沈め、老いて浮き出た掌の青い血管を、袖からだして肘掛けに置いた王は、寧国での彼の勝利を誉め讃え、剣を下賜した。
そして近習者たちを指で下がるように命じると、少しだけ苦しそうに身じろいだ。顔色は芳しくない。お年を召された、と玉顔に雄元は思った。
「寧より何よりの宝を持ち帰って来てくれたこと大儀であった。老いると、何よりも美しいものを好む」
「恐れ入ります」
「妬ましいほどに美しいとは思わぬか」
王の口端は醜く歪んでいた。雄元は思わず、唾を飲んで目線を王の襟合わせより下に落とした。
「雄元。若さとは愚かで、そして美しい。お前もいつか朕の気持ちを理解する時が来よう」
「......」
「隷にどうしたら不老不死になれるのか問うてみた。あれは『王は欲深過ぎる』と言って笑った。どういうことだろう?不老不死になるには欲深かすぎるという意味なのか、それとも、この上不老不死を欲するには欲深いということなのだろうか」
雄元は返答に窮した。だが、王は自嘲気味に笑っただけだった。その笑いが咳を呼び、袖を赤く染めた。
「医師を呼んでまいります」
「構わぬ。どうせ永くはない」
血の気のない顔を上げ、王は『ところで』と宛国攻略を口にした。瞳だけが異様に飛び出して憑かれたように拳を握っている。
この老人は自分の死が近いことを知りながら、今もって欲は尽きずに国を大きくしようとしているのだと、雄元は興王の狂気に額を地に付けた。
「恐れながら、西夷が国境を超えて来ております。西は興も含め水不足が続いております。それゆえ、西夷もわざわざ興に盗賊まがいのことをしているのです。討伐は大夫や卿らも検討している優先事項かと」
「西夷のことは聞いている。だが、神託にも出たように凶である。今は時ではない」
雄元は神託の一言で進言を退けられ、心の中で舌打ちした。宛国は南東の小国。攻めれば落とせぬことはなく、かと言って今現在、脅威になっているわけでもない。比べて西夷は死活問題である。
寧を滅ぼしたばかりで兵も疲れている。
それを押して軍を動かすというなら、将軍として国境から西夷の侵入を止める方を選びたい。
ましてや、王の健康が優れぬ時に、いたずらに兵を動かして、万一、長子である英と、末子の公子志旦の間で後継者争いなどが起こり内乱に発展すれば、大変なことになる。慎重に慎重を重ねて当然の状況であった。
「寧を滅ぼしてまだほどないのです。しばしのご猶予を」
「......。それほど待ってはいられぬ。朕の命のあるうちに済ませてしまいたい」
「今年の夏は雨が少なく、飢えて死ぬ者がが秋には出てくるやもしれません」
「うむ......」
王は苦虫を潰したように白髭に触れた。