落陽記

 



15


興国では、天は円く地は方形であると信じられている。


それを天円地方と呼び、金烏宮はいわば、その思想を絵図にしたような離宮であるといえた。階段を上れば決まって九つ。四角い宮殿と塀が建て並ぶ中央に天壇が厳かにそびえているのであった。


玉兔は王との謁見を待ちながら、窓の外を見上げた。夏の白い雲がゆっくりと進む空と朱の柱が一つの額の中に収まっていた。


「公子は日を視る日視や骨を焼いて国事をトう」


玉兔の背になんともなしに雄元は呟いた。


「では興の本当の王はあの男なのね」


彼女が髪を揺らして振り向いた。


「それは違う。戦にしろ、何にしろ、政は常に三公九卿によって協議され、王の決断をもって実行される」


「でもそれを覆せるのがあの男ではない?それが神意を伝える者の力というもの」


「......」


「李敬健は殺されるわ。たとえお前だって防げない」


「ここに幽閉されているただの公子だ。そんな力はない」


「ならどうして、王はそんな公子のいるこの奇妙な離宮に来る必要があるの?」


「......」


「ここはとても奇妙。まるで天に近いみたいに空気が澄んでいる。お前みたいな人はきっとここにいない方がいい。いつか自分の意志では動けなくなる」


「お前に何が分かるって言うんだ?」


雄元は玉兔の我がままや、尊大な物言いを許せても、予言めいた口の聞き方を好まなかった。それは自分が常に死と隣り合わせの武人であるがために、神祇を無視して兵を動かせない事実があったからであった。信じる、信じない以前の極めて政治的な理由である。


特に興国は九つの太陽を重んじる。


王がここにいるのも、実のところ、次の王を誰にするのか決めかねているからだと雄元はみていた。中央の利害とは無縁なこの金烏宮と公子隷はその決定に『神意』という絶対的不可抗力をもって血生臭い絽陽の争いに終止符を打つことができる。


「なにを考えているわけ?」


「何も」


「うそ。お前がここに私を連れて来た本当の理由はなに?」


玉兔は疑うような視線を向けた。強い光が暗闇の中で瞬いた。


「王は病だ。ここには療養にいらしている」


「ふん。言いたくないならいい。あの公子に聞くからかまわない」


「......」


玉兔は機嫌を損ねて椅子に腰掛けた。


彼女は機嫌だけでなく気分も悪く、青白い顔がぼんやりと浮き立っている。気丈に振る舞ってこそいるが、連れてこられた時同様、ここの空気が体に合わず、居住まいを正す振りをして、裙の裾で脚の小さな揺れを隠した。


「侍女のこと悪かったな。あれは俺が子供の頃から仕えている」


おもむろに、雄元が侍女のことを口にした。玉兔はまた公主らしい鼻先を上げた。


「お前に礼なんて言われたくはないわ。私はただ身の回りの世話をする女が必要だっただけ。ここには人がいないから」


「人ならいる。ただ正中する時刻は視日の関係で皆外に出るのを許されないだけだ」


「そ」


玉兔は子供のように指を噛んだ。馬などに乗って長旅をしたせいで、短くなってしまった爪。いらだちが水墨画のように彼女をにじませた。公主である自分が農婦のような手をしていると思った。


「侍女に指甲套を持たせて頂戴」


指甲套とは、本来長い爪を守るための鼈甲や金銀で出来た指飾りである。この見苦しい爪を隠すのには最適な装飾品であると言えた。


侍女の命を一つ助けてやったのだから、それぐらい当然だと玉兔は思っていた。雄元は腕組みをしたまま何も答えなかった。



「暑い」


「玉兔、暑いと言うなと言っただろう」


「日が動かない。だから暑いの」


「動かないわけがない」


「動いていないものは動いていない」


玉兔は紗の衫の片袖を脱いだ。


白い膚と日の印を雄元の前に恥じらいもなく晒さらし、細く長い指が伸びる掌をゆっくりと胸元で合わせる。そして彼女は手を右下にゆっくりと流し舞の型をとった。同時に、地を踏んだ靴の鈴が空を切った。美しいかんばせには感情というものはすべては消え失せて、披帛(ひはく)だけが彼女の代わりに微笑んだ。


それは遊郭などで見る舞とは違う。


媚びる唇も色もない。指先が、弧を描く度に池に一雫の水が落ちてつくるさざ波のように震えるのである。


巫女の舞だ、と雄元は気付いた。


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