落陽記
落陽記
14
日の熱が一瞬だけ強くなったように玉兔には感じた。
目眩が視界を奪った。倒れ込むのは誰かの腕の中。そして地べたに寝かせられるまでのひと時の間に、彼女は自分の未来を見た気がした。
だが幻像は瞬く間に消え去り、気を取り直した時にはそんな気がした事さえも覚えてもいなかった。
「驚かせてしまったかな」
顔を上げるとそこに公子がいた。雄元の気配はない。薄暗い部屋の中で、白い日差しが部屋を横切るように伸びていた。
「......」
隷は、そっと左手の腕を捲し上げて見せた。
「日......」
「そう、私もあなたと同じ落ちてしまった太陽の一つ」
自分以外の者が日の印を持っているのを玉兔は初めて見た。怖々とそれを指先で熱湯の温度を確認するかのごとく触れてみた。だが、今度は何も起こらない。
「あなたのを見せて欲しい」
隷の求めに玉兔は何も答えなかった。しかし公子の右手が襟に伸びた。はだかれた素肌に玉兔は顔を燃え上がらせ身を硬くする。触れる指先の冷たさが、いつの間にか唇となった。なぜであろうか―。それに気高い彼女が逆らえない。
「左手で触ってみたいが、またあなたを驚かせてもいけないから」
そう言うと、そっと身から離れた隷。
「陶将軍」
「はい」
玉兔は雄元の声を簾の向こうに聞いて始終見られていた事を知った。
「将軍、公主の印のこと知っているものは何人いるのか?」
「......。湯殿の世話をした侍女が一人」
「そうか」
隷はそれ以上何も命じも尋ねもしない。しかし、雄元はあの年老いた侍女を殺すであろう。それがこの金烏公子の汚さなさだと玉兔は思った。
「誰か私の世話をする必要があるからそのものを連れて来て」
侍女に情けをかけるほど、玉兔は慈悲深い性格でもなかった。だが、自分の存在が彼女の生死を変えるなら、あまり後味の良いことでもなく、それは雄元も同ことだろう。
「だめなの?」
無邪気を装って、玉兔は隷に訊ねた。彼の残酷さが彼女には向けられないのをその年頃の女なら誰しもが持つ特有の鋭敏さで嗅ぎ取っていたからであった。
雄元が窺うような視線を公子に向けた。
「構わない、玉兔公主が望むなら」
隷の言葉に雄元の瞳が地に拝跪した。国に忠実な将軍。必要とあれば、百万の民を殺し、隣国を王の名をもって滅ぼす。ただ、彼が躊躇う命がもう一つ。隷に訊ねられても答えなかった名。
軍師、李敬健。
玉兔は、彼の額に視た受難とはきっとこの事だと、ようやく合点がいった。隷はすべてを知っている。遅かれ早かれ刺客が絽陽に飛ぶ。彼を助けるすべを玉兔は知らなかった。
「王に会わせて」
興王とはいかなる人物なのであろうか。
まるで大津波のように隣国を飲み込み、この地上すべてを一人の手に入れようとしている。帝の称号を名乗りたいだけのためにこれだけの馬鹿げた犠牲を払っているのか。玉兔は同盟を破り、祖国を焼いた張本人の顔を見たかった。
「こちらだよ、公主。将軍もお言葉がある」
隷の白い手が玉兔の掌をとった。
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