落陽記

 


13



隷(れい)とは不思議な名である。


従属を表す隷の文字は王の子という高貴な生まれには不釣り合い。なんらかの理由があって、侮蔑の意味で与えられた名なのであろうと玉兔は思った。ただ、当の本人は『隷』と自称するのを憚らからないらしく


「隷と呼んでくれて構わないよ、公主」と言った。


世間では、ここ金烏宮にちなんで隷を金烏公子と呼び、もう十年以上、幽閉されている事実を美しい呼び名でつくろっていた。



玉兔は雄元に促されても跪かずに、目の前の不思議な名を持つ若い男を見つめた。歳は十八前後で、髪は銀髪とも言える白く霜のおりた髪。たとえ、農夫の着るような薄い麻を着ていたとしても、公子であると隠せないだろう品格ある面は、夏の暑さなど感じぬと言った風にすゞやかに微笑んでいた。


「王にお会いしたいのだろう?私が案内しよう」


今まであったことのない質の男だと玉兔は感じた。


虫も殺したことのないような指を持ち、柔らかに頬を緩ましながら、瞳は冷えきっている。それは、人を斬り殺すことを繰り返しながら、その瞳にはどこか温かみのある陶雄元将軍とは対象的であった。


きっとこの男は一人の人間も殺さない代わりに、一万の民を見殺しにできる。


そう玉兔が思った瞬間、金烏公子と目が合った。


「玉兔公主とお呼びしても構わないかな?」


「......」


「諱(いみな)か、字(あざな)を教えてくれるなら、それもかまわないけれど」


玉兔とは尊称であり、名ではない。玉兔邑を化粧領として寧王より賜っていたことからこの公主を玉兔公主と人は呼ぶ。


というのも、寧の国では王の子や娘は、諱(いみな)を死にゆく人に名付けてもらう習わしがあった。字(あざな)を教える合うのは、夫婦あるいは親子、または忠実を誓った主人のみ。


名前を知られるということは、即ち呪縛が人と人を繋ぎ、そして支配すると信じられている。それは興でも同じことではあるが、寧の人間はこの迷信をより頑なに信じていたのである。



「玉兔で構わないわ」


彼女はだから名を告げなかった。字(あざな)にしろ諱(いみな)にしろ、隷などという名を名乗れる男をそもそも信じられなかった。


「金烏と玉兔とは似合いだと思わないか、将軍」


「......」


玉兔が見る限り、雄元には隷に対して畏怖も蔑みもない。『公子も道をあける』とうそぶいたのは嘘であったのか——。象牙の箸で朝餉を啜る男だ。それほど大ほらではないはずである。


それならと、玉兔は思った。この金烏公子が特別なのだ。



雄元が階段をのぼる時、公子に手を貸した。少し足に鈍さが見えた。


「あなた、何を......」


その足に金色のものを玉兔は見た。鎖のような。


「ああ、これか?」


隷は玉兔の驚きに事も無げに足下を晒してみせた。


「金の、足枷?」


黄金の鎖が隷の足の自由を奪っていたのである。足枷と呼ぶには贅の尽くされた金細工に緑柱石やら琥珀などが美し過ぎるほどに飾られている。


「どうして?」


「さあ、どうしてだろう?将軍?」


「恐れながら、金烏公子の御身をこの興国にとどめて頂くためかと」


「だ、そうだ、公主」


玉兔にはそんな説明では何も分からなかった。答えを求めて雄元に視線を向けたが、彼は目を伏せたままそれ以上は口を開かない。


「玉兔公主、見せてくれる?」


「え?」


「この夏の日差しの下で。あなたの日の印を」


『どうしてそのことを?』と訊ねる言葉を玉兔は飲んだ。雄元が知らせたのであろうか。いや、違う。この男は『知っているんだ』と感じた。五感が逆立って玉兔の最後の一感も震えた。


「怖がる事はない。非力な寧の太陽よ。私はずっとあなたを待っていたのだから」


衣の袖に隠れたままであった左手の掌が、玉兔の鎖骨に触れた。


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