落陽記

 

2章

11

「暑い」


南へと下る車の中であまりの暑さに玉兔(ぎょくと)は呟いた。今日の空気の湿り具合は格別である。雄元(ゆうげん)も襟元を少し緩めた。


「あまり暑いと言うな。こっちまで暑くなる」


雄元が、少しだけ回りを囲む布をたくし上げ外の空気を入れたが、風の入りは気持ち程度のしのぎにすぎなかった。差し込む日差しが玉兔に向かって伸びた。


白い肌が日に負ける。


紗の織物の透け具合が寧の女らしく、それが気怠げに肩を下げる姿はいかにも艶かしかった。


雄元はそれから目を逸らした。


金剛石を見入るときそうなるような不思議な吸い込む力が玉兔の肌にはあった。



「こんなに日がさしたら日照りにならないわけ?」


沈黙に耐えねた玉兔が、紐に付けられた玉佩を弄びながら訊ねた。


「なるだろうな」


言われて雄元も絽陽への道々の草原の荒れ具合を思い出した。北西の乾いた大地が悲鳴を上げていた。例年なら今頃、蒼い草が生茂って、風の流れ具合によってはさざ波のように揺れている時期でにである。


「心配はしないの?」


「絽陽は他の国の都とは違う。水路が確立されている。余程のことがないかぎり大丈夫だろう」


「そ」


会話はそれで途切れた。雄元は『大丈夫だ』と言ったが、玉兔には一抹の不安が残り、車の外を見た。既に絽陽の郭外であるらしく田園が続いている。子供達が畝で木の棒を持って遊んでいた。


寧からの道のりとは格段にその豊かさが違う。青の色が深かった。


玉兔にとって今回のこの旅が、生まれて初めての旅である。


宮殿で育った彼女はこんな田園でさえも見たことがなかった。絽陽に着いた昨日は、疲れと心労で興という国を見ようという気にもなれなかったのが、今日は少しだけ余裕が彼女にもあるのか、その光景を美しいと思った。


「離宮はもうすぐそこだ」


雄元が差し示した先。そこには湖に浮かぶ城。


「離宮を人工の湖がが囲っているのだ」


「これを人が作ったの?」


どう見ても人工的なものには見えない大きさの湖である。これを掘らせたということは途方もない労力を費やしたはずだと、世間知らずの玉兔にさえ分かった。


「驚いたか」


驚かぬはずはなかった。


寧にはこんなものはなかった。比較的宮殿も簡素で、陶雄元の自邸の調度の方がはるかに贅が尽くされてるぐらいである。国の大きさの違いがここまでも豊かさを変えるのかと彼女の誇りが傷つけられた。


「寧ほど国としての歴史はないが、興は寧とちがって実利主義だ。王が望めば、湖だろうが海だろうが造る。それが興であり、俺の国だ」


寧の滅びは懐古趣味的なせいだと暗に雄元に言われたような気が玉兔にはした。



「降りろ。ここからは舟で行く」


手を差し出されて、彼女が車から降ろされたところは舟着場で、兵士たちが侵入を規制している。離宮に上がるのを許されるものはそこから舟に乗り、下がるときはまたこちら側から舟を呼び戻す、そういう仕組みのようであった。


白い蓮の花をかき分けて玉兔達を乗せた舟は岸を離れた。


透き通る水。


その中に小魚がさらりと泳いでは逃げてゆく。片袖を落とさぬようにたくし上げると、玉兔は指を水に浸した。冷たい。舟が進む速さに従って、小さな波紋が三角を作った。


映せば鏡のように映る水面。空気までもが外とは違う。


そして玉兔はここの静寂と清逸はこの池と同じように人口的のような気がした。それが何なのか、彼女には分からない。あえて言うならば、巨大な『封』。外のものを拒む神聖な世界。



「不気味」


玉兔の口から出たのは恐れだった。


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