落陽記

 

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春、絽陽の王宮で興王、英が見た光景。それは亡き寧公が見た光景と同じであったはずである。燃え上がるような赤い血の軍が、ひしめくように王宮を囲っていた。寧の遺臣や、各地の反乱兵を巻き込んで、雪だるまのように膨れ上がった兵の数、十万。


「神官は何と言っているのだ」


英は、あらゆる神々に貢ぎ物を捧げ、そして亀の甲羅を焼かせて占わせたが、良い卦はでなかった。西からは西夷が攻めて来ており、逃げるのなら、宛や極といった南の国に行くことが考れられたが、逃げ支度をしているところに、英の母、陶太后が現れた。


「王よ。お覚悟召されよ」


「母上」


「宛や極に逃げてもそこで必ず殺されましょう」


彼女の言葉は、回りくどい神官たちの言葉より明確に未来を差し示した。英は望んで王位についたわけではない。陶雄元や母である陶太后に擁され王になり、そして今廃される。彼は自らの運命を呪った。


「ご心配あそばすな。この母も黄泉にお供つかまつります」


彼女は剣を黙ったままの王に奉った。


それを英は取った。


近臣たちは『今から逃げればなんとかなるやもしれません』と、その袖を取って王に懇願したが、それは受け入れられることはなかった。興国の王としてこの絽陽の宮殿で死ぬことが、彼にとって唯一の王らしい行いであるからであった。


「雄元に無駄な血は流さないで欲しいと伝えるように」


日差しがやわらかである。庭を見下ろすと、先王の時代には見かけなかった碧の雑草が石の合間から顔を出していた。春なのだと英は思った。こんな空虚な気持ちになるのは、春の憂いのせいなのだろうとも思った。


見上げた空に、浮き雲が少しずつ形を変えてさすらって行くのが映った。






絽陽の王宮の門扉を開いたのは、卿でも大夫でもなかった。


二人の少女が砂塵が舞い上がる中を着飾って現れたのである。王が即位する際に女官が着る正装を身につけ、髪に挿した簪の数に二人の頭(こうべ)が悲しく傾いでいた。それは、薄汚れた両軍の兵の目には、幻の世界からやってきた仙女のように見えた。



「申し上げます。我が君、興の君主、英は偉大なる寧の公に興の国と城、そして蔵の宝物を奉りたく、わたくしめを遣わしました」


玉兔の前に跪いて額ずいた少女の名は香(こう)。


絹の上に書かれた興の地図を呂雲の手に渡したのは、妹の莠(ゆう)。


「寧公のお慈悲にすがりまして、どうか臣と民の命を、英の血をもってあがなって下さいますようにお願い申し上げます」


玉兔は金の冠を微動だにせず二人を見下ろした。


「あい分かった」


雄元が何も言わぬ玉兔の代わりに答えた。玉兔の顔からは喜びも悲しみも浮かばなかった。平邑を立ってはや二ヶ月。英の死を知って感慨の方が強かったのである。彼の運命は、金烏宮でその手を掴まれた時から玉兔は知っていた。掌から砂が零れ落ちて行くような思いを死に際して感じた英の心の残映が、彼のたましいのようにあたりに漂っていた。


「おめでとうございます」


玉兔の足下の男たちが次々に祝いの言葉を述べた。




一国の滅び。


それは寧の時もそうであったが、実にあっけないものかもしれない。

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