落陽記
落陽記
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それまで天を悠々と飛んでいた鷹は一羽の雲雀を捕まえると、丘の上で雄元たちの戦いぶりを見ていた主人のもとに帰っていった。
「東の使者か何かか......」
伊士羅はその死んだ鳥に不吉を感じて燃やすように言いつけて、手綱を握り直した。
先ほどから玉兔の姿が見えない。ただひとり白い衣に白い鎧を身につけて、それが赤い陶雄元の軍と黒い興軍のなかで異彩を放っていたというのに―。鷹が戻って来たのも玉兔を見失ったそのせいに違いなかった。
「全軍に、他はどうでもいい、寧公だけをお助けするように伝えよ。
伊士羅は丘を駆け下りた。
八万の兵と共に。
玉兔は助けられるのをよしとはしないだろう。しかし、彼は黙って見てもいられなかった。真っ直ぐに彼女のいる後軍へと向かう。思いがけなく一度に押し寄せた西夷の大軍に、興軍が驚いてさっと道を開けた。
しかしそこで伊士羅が見たものは、白い衣を着た巫女ではなかった。首を一つ馬にくくり付けて、戦う女の姿だったのである。白かった鎧も衣も既に血で赤い。陶雄元と同じ鮮やかな朱の色に彼女は染まっていたのであった。
かつて彼女は、落馬して『伊士羅、怪我をしたわ』とかすり傷を見せては、今にも泣き出さんばかりだった。寧の草原でそれを見た伊士羅は『傷になっては大変だ』と言って手当てした。その傷は今も残っているのだろうか......。
ずっと昔の瑶凛を自分は追い求めて、彼女を見ていなかったのかもしれないと、伊士羅は冷や水を掛けられた思いで、玉兔の姿を見た。
「伊士羅、邪魔しないで!」
切れた頬を向けて玉兔が叫んだ。
これは誰でもない彼女の戦いなのである。巫女である彼女が血を恐れないはずはない。それでも玉兔は一人敵兵を斬ると、また次の敵へと向かってゆく。伊士羅は、喉の奥で笑った。そんな彼女の勇ましさもまたうつくしいではないかと。
邪魔だと言われつつ、伊士羅は彼女の周りの興軍を蹴散らかすと、前方を見た。雄元が善戦しているようで、興軍は敗走を初めている。
「寧公。あなたは良い武人だ。できれば、弓矢を構えることはしたくない」
玉兔は伊士羅を返り見た。諱の瑶凛ではなく、寧公と彼は呼んだのである。いつもの彼の親しい微笑みに、敬意が加わっていた。
「会盟で会いましょう」
二人は剣の先を軽く鳴らし合しあった。それは唇を重ね合う行為よりもよりずっと自然に二人の心に合わさった。馬の首を、それぞれの向かう先に向けた玉兔と伊士羅。日はまだ高い。逃げて行く興軍を追うのだと、玉兔は思った。
*
「玉兔!」
「雄元!」
雄元は玉兔の血だらけの様に一瞬言葉を失ったが、すぐに生きていてくれたことに感謝した。
「陶羽はどこだ!我が君に怪我を負わせて生かしてはおかない」
「......」
陶羽の死を知らない雄元の言葉に、玉兔はかなしみに瞼をもたげると、黙って雄元に陶羽の首を渡した。決して戦場で泣いたりしない男の瞳が赤らんだ。
「お前が取ってやったのか」
「ええ......。そう望んでいたから」
「馬鹿な奴だ」
『馬鹿な奴だ』と雄元はもう一度繰り返した。そっと抱きしめ合う雄元と玉兔。いつもは雄元が玉兔を抱きしめる。でも玉兔が今日は雄元の大きな躯を抱えてやった。固い体が微かに震えていた。
「陶羽は私を助けてくれたの」
「それが奴に与えられた任務だった」
雄元は袖で顔を拭った。彼の瞳からはもう涙は消えていた。陶羽がそうであったように、雄元もまた自分の任務に忠実であらねばならない。
「興軍を追撃する」
全軍に告げた。
絽陽までそのまま追いかけてしまいそうな勢いであった。
「蘇学を逃がすな!」
一人の将が一万の兵になる。雄元は形を崩して逃げて行く興軍に向けて兵を動かした。