お寺の新聞「瑞祥(ずいしょう)

 

年間数回(不定期)発行しています。行事の際の発行ですから少し話題が時期外れかも・・・(笑)。

ごあいさつ


 暑い中のご参拝、誠にご苦労さまでございます。先日の大雨、皆さまの身の回りやお勤め先、お知り合いの方は大丈夫だったでしょうか? 復旧が少しでも早く進みますことをお祈り申し上げます。


身延山参拝


 福岡が大変な雨だった頃、私は家族と共に身延山と七面山に参拝に行っておりました。

 平成六年に結婚し、その年の春に市内のお寺さんやお檀家と共に、新婚間もない私たち夫婦も登詣しました。その時の子授け祈願はお陰さまで無事に成就し、三人の息子は現在、中三、中一、小五にまで成長しております。

 お礼参りをしなければと思いながらも、結婚以来十五年という月日が流れていました。その間、大波小波はありながらも何とか無事に生活させて頂き、私自身は独自の布教所(千代町の別院「西門鬼子母神」)を開き、二回目の荒行にも行かせて頂きました。

 これらのことは私一人で出来得ることではなく、檀信徒の皆さまやお釈迦さま、或いは直接接していなくても何らかのご縁で結ばれた方々、そして私の周りにおられる多くの諸霊魂のお陰だと信じております。

 そうしたことから、荒行から戻った時に、「家族でお礼参りをしよう」ということになり、予定を組んでいたのが七月二十三日だったのです。

 当日は正午発の飛行機で静岡空港へ飛び、レンタカーで身延へ移動。夕方に到着して翌日の朝のお勤めでのご祈願とご供養の受付にギリギリ間に合いました。本堂脇に建てられた五重の塔に手を合わせ、その後は日蓮聖人が生活をされた場所(ご草庵跡)とお墓(ご廟所)を参拝し、宿泊先の坊(ぼう=お寺)へと向いました。


七面山登詣


 この日の夜から早朝にかけて外は土砂降り。私たちは雨合羽を身にまとい、朝五時には久遠寺の大本堂へ。雨は激しさを増していましたが、本堂は百名程の参拝者で埋まりました。

 本堂の後、祖師堂でご祈願の読上げ、仏殿でご供養の読上げを受け、七時には再び祖師堂へ。私たち家族はそこでお開帳をして頂き、久遠寺の日蓮さまと対面させて頂きました。

 宿坊に戻って朝食を頂き、いよいよ七面山を目指します。レンタカーを走らせ、登山口に向う頃から段々と陽の光が射して来ました。不思議です。

 車を預け、お萬さまの滝で手を合わせてから山頂の敬慎院というお寺を目指します。歩き出すと、さすがにキツいですね。十五年前に比べて体力は落ちています。元気なのは息子たち。ヒョイヒョイ登って行きます。ここは父親の意地を見せねばと、必死で付いて行きました。

 十時半から登り始め、親の都合で食事や休憩を挟みながら午後二時に到着。標高一九八二メートルの山頂にあるお寺は寒く、夏だというのにコタツが用意されているくらいです。

 通常は四時間から五時間かかるという行程を、三時間半というハイペースの登詣で足はガチガチ。そこに追い討ちをかけるような長時間の夕方のお勤め。「寺院席」という特別待遇(?)を受けた私は足を崩すことも許されず、必死で正座を続けておりました(苦笑)


お参りを終えて


 この日も夜中はひどい雨。お寺の職員の方々が下山の心配をされた程です。しかし朝にはすっかり上がり、完璧とはいえないものの、富士山を臨む雲海からの朝日を拝むことが出来ました。日本の安泰、世界の安泰、そして、今という時を生かされていることに感謝せずにはいられませんでした。

 朝の法要を終えて朝食。そして七時少し前から下山を開始。子供たちは相変わらず元気です。嫁と私は・・・聞かないで下さい。

 二時間後の午前九時、お萬さまの滝へと戻って来ました。ここで携帯電話が復活。メールや電話で福岡が大変な状況であることを初めて知りました。

 この後、私たちは再び身延山へ。途中で「さかさ銀杏」で有名な上沢寺へ参拝。ガチガチの足のまま、ロープウエイで身延山の山頂、奥の院「思親閣」にお参り。長年の思いを果たすことが出来ました。

 身延をあとにした私たちは静岡の焼津に宿泊。大浴場で足を休めた後、空路で福岡へと戻りました。

 身延山にお参りして沢山のお経のシャワーを浴び、元気を頂いた私たち家族。皆さまに支えられていることに感謝し、これからも精進して参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

平成21年8月2日(日)発行

七面山からのご来光