復活とクリスチャンの人生 (1)恐れ

ヨハネ 20:19-23

 
 
 
 
 

今年の教会カレンダーに載っている復活祭は終わりました。来年の春が来るまで、イースターは夏眠、秋眠、冬眠し、春には目を覚まして再びやって来ます。こんなふうに見ていくと、イースターが終って、なんだかイースターも終わったような気になってしまいます。しかし復活と復活への信仰は、終わってはいません。継続しています。キリストが甦られたということは、キリストが今も生きて、わたしたちと共にいて下さり、わたしたちのあらゆる日常生活/教会生活の生に関わりをもっていて下さる、ということです。キリストの復活は、クリスチャン人生の三つの領域で深い関係をもっています。


1.  クリスチャンにとって、人生は復活のキリストにより始まります。

復活が起きた日の夕方、ユダとトマスを除いたキリストの弟子たちは、恐れおののきながら、家のすべての戸をしめて震え脅えていました。彼らは、一週間前の棕櫚の主日に、エルサレムに王として入城なさったキリストに、“ホザナ(わたしたちを救って下さい)” 、と叫びつづけた群衆の劇的な経験を、見聞きしたばかりでした。しかしそれから5日後、王なる主が十字架につけられて殺されたのです。自分たちの主が死んだ時、弟子たちは自分たちの信仰と希望に終止符をうちました。


死んだ救い主に信仰などもてません。殺された主に希望などいだけません。彼らは、世界でもっとも惨めな敗北者となっていたのです。ペテロとヨハネは、空の墓を目撃したにもかかわらず、さらに、マグダラのマリヤが復活の主にお会いしたという決定的な証言を聞いても、彼らは自分たちにも、ふりかかる身の危険に恐怖の念に駆られていたのです。しかし!弟子たちの恐れの最中に、復活の主が入ってこられたのです。そして、‘平安あれ’と言われました。復活の主の臨在とすべての恐れを包含する主の言葉によって、クリスチャンの人生は、はじまります。この原点に帰って、繰り返し、繰り返し、始まります。


2.  クリスチャンにとって、人生は復活のキリストにあって継続されます。

イエス キリストが復活して今もなお生きておられることを信じるとするならば、わたしたちは決して一人ぼっちではなく、どん時でも共にいてくださり、ひとりで苦しんだり、悲しんだり、誘惑や試練に直面したりする必要がないことを信じないわけにはいきません。


3.  クリスチャンにとって、人生は復活のキリストのうちに終わります。

わたしたちが死に立ち向かうことが出来るのは、復活信仰、死を克服して復活して、今も生きたもうキリストに対する信仰、によってです。復活のキリストが、わたしたちが死の谷をとおる時、共にいて下さるゆえに、死に対処出来うるのです。W. バークレーの言葉をもって、まとめとしたく思います。


「イースター信仰は、一年のある時期にだけ考えることではなく、クリスチャンがそれによって毎日生き、それによって最後に死ぬ (それも再び生きるためだが)、そのような信仰でなければならない」 


日語部牧師

岩渕 宏安

2009年4月26日 〜 イースター 〜

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