賢い人:聞いて行なう者
マタイ7:24-27
先週、天国/御国に入れる者は、ただ、天にいます父の御旨を行うものだけに限られると、学びました。その“父の御旨”とは、父なる神が遣わして下さった御子イエスを受け入れ、信じ、信頼するということでした。すなわち、父の御旨である御子を“信じるという行為”です。ですから、真の意味で“父の御旨を行う”とは、何かをすることではなく、何もしないことから始まるのです。
しかしながら、それに引き続き主イエスは、ご自分が山上の説教で、それまで語ってきた言葉を行うように命じます。
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」(マタイ7:24)
1) まず、主が“わたしのこれらの言葉”を、“父の御旨”と同等視していることに注目してください。山上の説教の主の言葉を、軽視し無視することは、“父の御旨”を軽視し無視することなのです。そこで“わが父の御旨を行う者だけが、天国にはいれるのである” ということは、“わたしの山上の説教を行う者だけが、天国にはいるのである”と、置き換えることも出来るのです。どれほど主イエスの言葉には、権威があるかおわかりでしょう。
2) 次に着目したいことは、“聞いて行うもの”という双方の強調です。主は、わたしたちが、まず聞くことを命じます。キリスト者の第一のステップは、イエス キリストに一つのチャンスを、すなわち、聞くという機会を与えることです。そして次に、主はわたしたちに行うことを命じます。
イエスの言葉を聞く + イエスの言葉を行う = イエスに従う
わたしたちは、聞いて行わないか、聞いて行うか、いつでも二つ選択の前に立たされています。聞いて行わない危険を、預言者エゼキエルはこう語ります。
「彼らはあなたの言葉を聞くが、それを行おうとはしない」(エゼキエル33:32)
3) 山上の説教の言葉を聞いて、それらを実行する人たちを、主イエスは岩の上に自分の家を建てる賢い人に、比較して例えています。イエスとその言葉は、地下深くに横たわっている不動の岩盤なのです。主の言葉の上に、人生という家を建てる人は、「雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである」(7:25)と、主が約束して下さっている賢い人なのです。使徒ヨハネも、主イエスに声を合わせて、こう言っています(1ヨハネ2:17)。
「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」
日語部牧師
岩渕 宏安
2008年2月10日 〜 キリストの山上の説教 〜