にせ預言者/にせ信者を警戒せよ

マタイ7:13-15

 
 
 
 
 

2006年7月2日より始まった「山上の説教」の連続メッセイジは、その途中教会の暦(イースター、アドベント、その他)によって中断されることはありましたが、いよいよ7章の半ばまでやってまいりました。おそらくあと二三ヶ月で完了することでしょう。さて先回(11/25/2007)「狭い門からはいれ」と、弟子たちに忠告された主イエスは、


「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである」(7:15)と、


警告されます。ここで“にせ”とは、広義で預言者だけでなく、それについて行く信者にも該当します。「彼らは、羊の衣を着て」教会にやって来ます。旧約聖書において、羊は神の民を意味する隠喩(Metaphor)です。にせ預言者が羊の衣を着ていたということは、神の民のように装い、振る舞っていたのです。


神の民(クリスチャン/教会員)からするならば、にせ預言者/信者が、羊の衣を着ているので、本物の預言者/信者と見分けがつきません。いや、かえって羊を装っているにせ預言者/信者の方が、大衆に受け入れられ、活動的で、一見献身的な存在感をかもし出しているかもしれません。しかし、どんなに外見は羊のように見えても、聖書の学びで模範解答者であっても、又奉仕/伝道に熱心であっても、「その内側は強欲なおおかみ」なのです。にせ預言者/信者は、“外見”と“内側”が違います。使徒パウロが指摘しているように、「彼らの神はその腹」(ピリピ3:19)です。つまり彼らの神は、究極のところ“腹”で表現されている自らのもろもろの欲望なのです。それらの欲望とは、時には支配欲(自分の思うようにコントロールしようとする欲望)として、ある時には権力、名誉欲として現れてきます。


ではどのように、にせ預言者/信者を見分けることが出来るのでしょうか。文脈から言って、主イエスが言われた“広い門、広い道”(7:13-14)が、にせ預言者/信者を見分けるのに、深い関わりを持っています。まことの預言者/信者は、神のみ旨である神の言葉を、聞き易いところだけでなく、聞き難いところも含めて、そのまま受け取って、伝えます。エレミヤなどは、神の民が聞きたくない神の使信を正直に語ったため、ほんとうに苦しんだ預言者です。一方、にせ預言者/信者は、主が語っている“狭い門、細い道”を語ろうとはしません。彼らを見破る一つの手立ては、彼らが何を言っているかではなく、何を言っていないかを見定めることです。


主イエスが言われた愛、恵み、ゆるしといった、わたしたちの耳に心地よく響くことだけに触れ、同じ主が言われた警告、さばき、滅びを否定し、無視し、軽視するのが、にせ預言者/信者のパターンです。救いを語るイエスは、滅びも語ります。天国を語るイエスは、地獄も語っているのです。


日語部牧師

岩渕 宏安

2008年1月13日 〜 キリストの山上の説教 〜

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