主の祈りー礼拝
マタイ 6:9-13
「天にいますわれらの父よ」と、呼びかけの祈りをもってはじまった主の祈りは、祈願をもって続けられます。自分自身や自分の必要を思う前に、また他の人のことを考える前に、神の尊厳と栄光に心をむけます。
「御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」
主イエスは、この祈願がわたしたちの求める第一の願いにしなさいと言われます。
1. イスラエルの歴史の中で、神はさまざまな名のもとに、ご自身をイスラエルの民族に啓示してこられました。神がご自身を“エロヒム”という言葉を使った時に、それは神の力強さ、神の支配、神の権力ということを、神の民に印象づけようとしたのです。後になって神はご自身を、すばらしい御名“エホバ”をもって啓示なさいました。その意味するところは「わたしは有って有る者」(出エジプト3:14)であり、初めもなく終わりもなく永遠に、自から存在する“自存”のお方であるということです。その他にも神は、いろいろな「御名」によって、ご自身を神の民に知らせてこられました。
ですから、「御名があがめられますように」と祈る時、それは全世界が、神をこのようなお方(御名)として知るように、全世界が神をこのようなお方(御名)として崇めるものとなるように、祈りなさいということです。この祈りは実に、神の尊厳と栄光を求める、燃えるような願いの表現なのです。
2. 「御名があがめられますように。」祈ったわたしたちがすぐ気がつくことは、主の御名が現実には、そのようには崇められていないということです。ですからさらに「御国がきますように」と、祈ることを教えられています。
1) 主イエスと共に到来した神の国(支配)が拡大していくように、
2) キリスト者の心と生活にある神の国(支配)が広がっていくように、そして
3) 完成された神の国がこの地上に到来するようにと、祈るように招かれています。
3. 「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」この願いは、「御国がきますように」と願った者が、次に口にする当然の論理的帰結です。天においては、神のみこころが完全に行われているように、この地上にも神のみこころが行われますように/実現されますようにと、わたしたちは切望するのです。天上のすべての被造物の至上の願いは、神のみこころを行い、それによって神をほめたたえ礼拝しているのです。地上でのわたしたちの至上の願いは、どうでしょうか。
日語部牧師
岩渕 宏安
2007年7月15日 〜 キリストの山上の説教 〜