神に祈りつつ、備えた

ネヘミヤ 4:1-9 (新共同訳3:33-4:3)

 
 
 
 
 

(口語訳と新共同訳の章と節が少しずれているのは、新共同訳がヘブル語聖書の区分に従い、口語訳がそれに従っていないからです)。

 

神殿再建が城壁を築くことから始められたとき、その工事をやめさせようとする妨害が、ユダの人々の上にふりかかりました。サマリヤ人であるサンバラテという人物が、「城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった」(4:1) のです。そして愚弄しながら、ユダの人々の士気と勇気を挫こうとします。


    「この弱々しいユダヤ人は何をしているのか。自分で再興しようとするのか。

犠牲をささげようとするのか。一日で事を終えようとするのか。塵塚の中の

石はすでに焼けているのに、これを取りだして生かそうとするのか」(4:2)

 

イスラエル民族にとって、その当初から敵であったアンモン人のトビヤという人物も、サンバラテのかたわらでユダの人々を茶化します。


    「そうだ、彼らの築いている城壁は、きつね一匹が上ってもくずれるであろう」(4:3)

 

ネヘミヤたちは彼らとは応答せず、神にそのやるせない気持ちを持っていきます。いやそれ以上彼らがしたことで大切なことは、サマリヤ人とアンモン人がしていることは、単に彼らにしていることではなく、神に対する冒涜であると自覚したことです(4:4-5)。ユダの人々は、黙々と神殿再建の初心を継続し貫きます。


    「こうしてわれわれは城壁を築いたが、石がきはみな相連なって、

    その高さの半ばにまで達した。民が心をこめて働いたからである」(4:6)

 

神の神殿(宮/家/教会)が建て上げれば上げられる程、それを阻止しようとする妨害は大きくなっていきます。言葉で侮辱して来たサンバラテとトビヤは、他の民族にも加勢してもらって、軍事力に訴えはじめます。「皆共にはかり、エルサレムをせめて、その中に混乱を起こそうとした」(4:8) のです。

 

なぜ、これ程まで主の家が築かれるときに、それを阻止しようとする働きが起きるのでしょうか。それは、それを阻止しようとする者がいるからです。単にサンバラテやトビヤではありません。ほんとうの敵は、彼らの背後で神の働きを阻止しようとする者がいるのです。パウロは、その存在を次のように語ります。


    「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、

    やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」(エペソ6:12)


一信徒であったネヘミヤは、真の敵を知っていました。ですから神の武具で身を固めます。


    「そこでわれわれは神に祈り、また日夜見張りを置いて彼らに備えた」(4:9)


日語部牧師

岩渕 宏安

2007年1月21日 〜 教会再建 〜

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