時は円ではなく直線

詩篇 90:1-17

 
 
 
 
 

年の終わり近づくと、いつでも時間について考えさせられます。日頃は時間を見ながら(正確にいうと、時間ではなく時計を見ながらです)、わたくしたちは忙しく動いています。年の瀬になり、特に大晦日、それも終わりの数分間になると、時間と私たちの関係が突然逆になり私たちは静かになって動かなくなり、時間の方が“音”をたてて動きはじめます。ニューヨークのタイム スクエアーを見つめつつ、時間の動きに目を見張ります。秒読みが始まります。9秒, 8秒、、、2秒、1秒。2006年が終わり、2007年が始まります。

 

時間に関して、聖書は多くを語っています。詩篇90篇は、その中でも神と人の関係において永遠と人の関係において大切な真理を教えています。詩篇90篇全体を読んですぐ気がつくことは、繰り返しきかない一生の短さとはかなさです。


    「あなたは人をちりに帰らせて言われます、” 人の子よ、帰れ “と。あなたは

人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あした

にもえでる青草のようです。あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しお

れて枯れるのです。、、、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。わ

れらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても、八十年で

しょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくこ

とは速く,われらは飛び去るのです」(詩篇90:3, 5, 6, 9, 10)

 

それに反して、時間を創造し、時間の外におられる神の永遠性が、モーセによって対照的に浮き彫りにされています。


    「主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。山がまだ地と世界と

     を造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせ

     られます」(詩篇90:1 – 2)

 

永遠の“世界”に住んでおられる神の前に、人の歴史は一瞬のようであると、モーセは告白します。


    「あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、

     夜の間のひと時のようです」(詩篇90:4)

 

使徒ペテロも、似たような真理を彼の手紙の中で書き記しています。


    「愛する者たちよ、この一事を忘れてはならない。主にあっては、

一日は千年のようであり、千年は一日のようである」(2ペテロ3:8)

 

時間に関して、三つのことを覚えたく思います。

1) 時間は、円ではなく、再び同じ所に戻ってこない、繰り返えすことが出来ない直線です。2) 時間には、限りがあり終わりがあります。

3) 時間は、永遠の中にあります。どんな昔の過去も、どんな遠い将来も、永遠から見るな

    ら“今”なのです。


日語部牧師

岩渕 宏安

2006年12月31日 〜 教会再建 〜

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